ボクな君

著 南修一






「ああ、なんでこんな日に限って……地獄だ」
 タイヨウが黄色いっていうのはこういうことを言うのかもしれない。南天を睨みながら、ぼくは人生で初めて太陽が憎らしく思えていた。祈祷師みたいに曇れと祈ってはいるのだけれど、どうやら効果はないらしい。それでもここに来るまでと違って、屋内にいて直射日光の餌食となっていないだけマシなのかもしれない。
「みんなも似たようなもんか。死にかけだねえ」
 食堂の窓際席に座って、机に頬をついてだらけているぼくと硝子を隔てた向こう――食堂脇の道を図書館や生協へと通り過ぎてゆく人たちの一部は、幽鬼のように足元がおぼつかず、妙な親近感を覚えた。二ヶ月近く続いた夏季休業が先週終わったばかりで、みんなまだフリーターから学生モードへの切り替えができていないのだろう。先週一杯行われていた授業のガイダンスを真面目に受けているような優等生は稀だ。今更――授業の退屈さに打ちのめされているという可能性も無きにしも非ずだろう。なにせ、ぼくもその口だ。
「……しんどい。酒残ってるのかなあ。これでもざるな方だと思ってたんだけど、さすがに無理だったかー」
 昨日の無理がたたったのか、ちょっと眩暈がして、ぼくは目を瞑った。吐き気もしていて、ちょっと体がだるい。体調を考えると、一日くらい休めばよかったかもしれない。
 ――昨夜、それぞれの告白が終わったあとも、結局ぼくらはだらだらと閉店間際まで飲み続けた。酔っ払った人間に論理だった話ができるはずもなく、益体もない会話を無意味にしたらしい。あまりにくだらなかったからなのか、内容はよく覚えていない。ただふたりとも笑い上戸だったせいか、陰気な酒盛りではなかったと思う。
 料金をワリカンして店を出たのはちらほらと外が明るくなり始めている時間だった。酔っ払いらしく店の前でハイタッチをして別れて――正気になってみると、赤面ものだ――下宿先へ戻ると、着替えることもなくベッドへ倒れこんだ。
 それで、携帯に起こされたのがその二時間後だった。まだ七割酔っ払いながらも目覚ましを止めると、勤勉というよりも融通が利かない不自由さを嘆くべきか、朝イチから授業があることに気付いてしまった。それさえこなせば約束の昼まで授業がないこともあり、寝直す気にもなれず、無理にシャワーを浴びて、昨日食ったものを便器へプレゼントし、なんとか講義へ顔を出したのだった。
 そして、夢現ながらもなんとか講義を耐えしのぎ、ぼくは食堂で場所取りをしている。ぼくの目の前にはすうどんがおいてある。気持ち悪くて食えたものじゃないのだけれど、昼から最終までの講義を考えると、少しだけでも胃に入れておかないと持ちそうにない。それでも食べることを想像すると……
 俯いて吐き気をこらえているぼくへ陰がさした。視界が暗くなる。目の前にふたり組の人影が。
「――おい、そこのグチョグチョ野郎、今にも死んじまいそうな顔色してるぞ。昨日の詳しい話をするまで死ぬなよ」
「うるさい。お前の服の中へ胃の内容物を戻してやろうか」
「きたねえやつだな。昔はもっと上手く猫かぶれてたぞ、貴文」
 顔を上げるまでもなかった。両親以外にぼくの名前を呼び捨てするようなやつはひとりしかいない。運動疲労とは一味違う重さがかかる体に難儀しながら視線を上げると、親友、いや悪友――じゃなくてただの知り合いの橘高圭亮が、眉をしかめて目の前に立っていた。
「――おい! なんかお前失礼なこと考えてないか?」
「めっそうもない。眉目秀麗、才知きらめく橘高さんに失礼なことなんて……少しくらいしか考えてませんよ」
「ちょっとは考えてるのか!」
 大げさに怒鳴ると、圭亮はぼくの目の前に腰を下ろした。ひとりにしては少し大きめのランチボックスを持っている。なんで、こんなやつに、と腹が立った。
「うるさいなあ。二日酔いの人間の前で怒鳴るなよ」
 圭亮が才知きらめくというのは看板に偽りありだが、眉目秀麗なのは本当のことだ。互いの両親の仲がよいこともあり、ぼくと圭亮は小さな頃からよく遊んでいた。所謂、幼馴染というやつだろう。特徴は周りより背が高いだけという平々凡々を絵に描いたような僕と違って、圭亮は小学生になる前から年上のお姉さんたちにモテモテだった。甘いマスクとでもいうのだろうか。夢を信じている女の子たちが思い描くような王子様は、圭亮のようなやつなのかもしれない。
 DNAの不公平に妬んだこともあったが、圭亮のあまりものモテぶりに馬鹿らしくなり、時々味わえるおこぼれに満足することにした。おこぼれといってもいやらしい意味はない。小学生くらいの頃に圭亮が内緒でもらっていた近所のおばさんたちからのおやつを分けてもらうようなことだけだ。異性に関しては、中学に上がったくらいに起きた争奪戦を間近で見ていて恐くなってしまった。モテるというのも考え物――ということかもしれない。
 そんな人間だから、幼馴染は恋人に困ったことはないといっても長続きするのは稀で、可愛そうなやつだと無謀にも同情してしまったのだが。
「相馬君、圭君のことも考えてあげてください。昨日はずっと心配してらしたんですから」
 すぐにそんな同情はただの無駄だということを思い知らされたのはいい思い出だ。
 ぼくにそのことを思い知らせた希少な女性は、ふたりの湯飲みを乗せたトレイを手に圭亮の隣に腰掛けた。圭亮が持っているお弁当を作ったのは彼女だろう。こいつにはもったいない彼女は美少女といっても言い足りない完璧なお嬢様だ。腰まで伸びたストレートの黒髪が艶やかで、慎ましやかな性格とは正反対の自己主張激しいからだが人目を惹いている。それでも、少し話してみればいやらしい目で見ることを許さない清らかな雰囲気を彼女は持っている。透明感があるというのだろうか。
 付き合いが三ヶ月続くことも珍しかった圭亮と、彼女――三神八重子さんはもう二年近く続いている。馴れ初めが馴れ初めだったから別れるようなことは多分ない。圭亮みたいなろくでなしには正直もったいない。でも、思慮が浅い悪友を窘めるのに彼女以外の人物はいないのだろうから。世界というか人の縁というのは、正直絶妙にできているということだろう。なら、ぼくと吉沢は……
「貴文、また死にそうな顔になってるぞ」
「いや、ちょっと鬱になってただけだ。もう大丈夫」
「鬱って、お前……」
 圭亮は真剣にぼくの顔を見つめてくる。
「心配するなって、本当に大丈夫だから。こいつだけじゃなくて、三神さんにも迷惑をかけたみたいだね?」
 いつもとは少し違う悪友にちょっと照れくさくなって、ぼくは視線を三神さんへそらした。
「いいえ、少しも迷惑だなんて思っていませんから、相馬君こそ本当に大丈夫なんですか?」
 彼女は少し首を傾けると柔らかく微笑んだ。
「正直、大丈夫だとは言い切れないけど、死のうなんて全然考えてないから、そんな心配はしなくてもいいよ。まあ、振られちゃったんだから落ち込んではいるけどさ」
 今も実は二日酔いなんだと言うと圭亮が呆れた顔をした。
「本当か? 恵美ちゃんに振られたって八重から聞いたときはマジで死ぬんじゃないかって――ぶっちゃけ、もう死んでるかと思った」
「お前は幼馴染をなんだと思ってるんだよ。そんな簡単に死んでたまるか!」
「貴文――」
 ふざけていたはずなのに、不意に真面目な声で問いかけられた。
「本当に、大丈夫なんだな?」
 ぐっと目蓋をとじる。そうしてしまわないと、なぜか泣き出してしまいそうだった。本当に心配なときにだけ行われる幼馴染だけの儀式。二年前かけた問いに、今度はぼくが答える番だった。
「辛いけど、大丈夫。受け入れるしかないんだ」
「ならよしっ!」
「だから、二日酔いって言ってるだろ! 頭痛いんだから、大きな声出すなって」
「二日酔いするぐらい酒飲むのが悪いんだよ。耳元で叫んでやろうか」
「やめろ。全国の酔っ払い集めて、訴えるぞ」
 ついさっきの雰囲気をなかったことにするように、ぼくらは大げさに罵りあう。その喧嘩を嬉しそうに三神さんが眺めている。この席に本当は吉沢がいるはずだった。男同士がバカして、それを恋人たちが仲裁する。それがぼくたちの形だった……はずだ。でも、そんなことはもうないのだと当たり前のように痛感して、心の空白へと風が流れ込んでいることに初めて気がついた。
 悲しいとも辛いとも少し違う感覚。いつのまにか無理やり盛り上げていた場の空気が白けたものに変わっていた。前に座っているふたりの表情も曇ろうとしていた――ところに、場違いにも感じられる明るい声が響いた。
「相馬くん、おはよーっ! お互い午前中から授業とは因果だねえ」
 空白を埋めるようにかけられた声へと振り返ると、昨日互いに泣き合った彼女がそこに立っていた。わけもわからず、なにも考えられなかったはずなのに、なんだかその行為が当然のように感じられて、無性に嬉しかった。
「縁があるのかも。でも、高梨さんはぼくほど酔いが酷くなさそうだね」
「そこは女の武器の使い所でしょ。ボクだって一応女の子ですから」
 どこも空いてないから、ここ座ってもいいかなと訊ねると、彼女は返事を待たずにぼくの隣へと腰掛けた。昨日と違い、うっすら化粧をしているようだった。香水も少々きつめかもしれない。
「そ、相馬君、こちらはどなたですか?」
 大胆不敵な高梨さんの行動に驚いていたのはぼくだけじゃなくて、それいじょうに目の前のふたりは呆気に取られたようだった。圭亮だけじゃなく、三神さんまで目を丸くしている。
「彼女は――」
 ぼくの声を高梨さんが遮った。ふと嫌な予感がして、隣を盗み見ると……邪悪に笑っていた。多分、幻覚だろう。けれど、背中に感じる悪寒とあいまって、ぼくには高梨さんが浮かべる笑みが恐ろしいと感じられてしまった。そして、その予感は紛れもない事実だった。
「ボクは相馬くんの一夜の恋人だよっ!」
 刻が止まるというのはこういうことをいうのかもしれない。昼食で賑わう食堂の喧騒の中、ぼくらのテーブルだけ色が失われていた。いや、もっとディテールにこだわるなら、高梨さんを除いてという注釈を忘れてはいけないだろう。
 ――そして、ときは動き出す。
「ええっ――――――!!!!」
 白黒からカラーへの復帰。ぼくら――三人の叫びによる空気の振動。さっきとは逆に、周りの喧騒がぴたりと収まった。視線がこちらへ集中する。
「そ、それはどういう意味なんだ?」
 大きなインパクトから最初に立ち直ったのは圭亮だった。たどたどしい口調ながらも、ぼくに対しての催促の目つきはいつもどおりだった。
「どういう意味って、言葉通りだけど」
 またも場が凍りつく。痛いっ! 三神さんの冷たい視線が痛い!
「い、いやだなあ、高梨さんってば冗談ばっかり」
「冗談だなんて酷い……」
 潤んだ瞳に見つめられ、ぼくの小さな心臓が軋んだ音を立てた。されてもいない内緒話が耳に入ってくる。
 ――ぼ、ぼくはそんなひどいやつじゃないですよ。悪魔は、小悪魔は隣に座る彼女の方なんです!
 大声で釈明して回る余裕もなく、ぼくは心の中で絶叫した。
「今日の朝まで一緒にいたじゃない、相馬くん。それを冗談なんて酷い」
 ……お、終わった。完全に、ぼくのキャンパスライフは終わってしまった。なにも悪いことなんかしてないのに、犯罪者みたいな気分になるとはこれいかに。痛い、痛いよう、三神さんじゃなくて四方八方から冷たい視線が。
 それに比べて、俯く高梨さんに向けられる視線の暖かさといったらもう理不尽の極みだ。声が聞こえるほど近くにいるぼくだけにしかわからないだろうけど、泣いてるんじゃなくて笑ってるんですよ、この悪魔は。みなさんには見えないでしょうけどねっ!
 あまりにも四面楚歌な状況にぼくは肩を落とした。もう二日酔いなんて吹き飛んでしまっている。
「朝まで一緒になんて……相馬君、本当なんですか?」
 あ、朝まで一緒にいたことは事実だけれど、肯定してはいけない気がする。しかし、このままでいれば悪者なのは確定な訳で。認めちゃうのか、認めちゃっていいの!?
「………………本当、です」
「な、なんだと!! お、お前は恵美ちゃんに振られた夜に、そんなことを! 返事が返ってこなかったのもそのせいかー! こんちくしょー、なんて羨ま――」
 ぼくへの糾弾から自分のスケベ心の披露へと変わった圭亮の叫びに制裁がとんだ。目にも留まらぬ速さで頬を三神さんが抓っていた。こちらへ向けられていた冷たい視線は、彼氏への静かな怒りに変わっている。
「へえ〜、あの方との一夜が羨ましいんですか、圭君は。じゃあ、お願いすればいいんじゃないかしら?」
「う、羨ましくはありませんです、マム! わ、わたくしは裏山といいたかっただけであります」
「裏山ですか。それにはどんな意味が?」
 不用意な発言で追い込まれる幼馴染に呆れながらも、ぼくは肩を落としたまま動けずにいた。観客の興味は前のふたりへと移ったようだった。正直、助かった。悪友の馬鹿さに初めて感謝したいくらいだ。
「おもしろい友達だね、あのふたり。ボクも仲間に入れてもらおうかなあ、楽しそうだし」
「そ、それは別に構わないけど、ぼくで遊ぶのやめてくれないかな」
「う〜ん、それは難しいかも。相馬くん、おもしろいし」
 満面の笑みでそうおっしゃる高梨さんへなにも言えず、ぼくはただ大きな吐息を漏らした。

「あははは。そのとき、相馬くんはどうしてたの?」
「問題はそこだよ、涼香ちゃん。この馬鹿は俺のピンチだってのに、横でぼけっと立ってただけなんだよ。信じられる? 幼馴染、いや親友が追い詰められてるというのに、立ってるだけ」
「うるさいよ。小さい頃にぼくはお前の揉め事にかかわらないって決めたんだ。特に、異性関係は」
 服へつゆが飛ばないよう注意しながらうどんをすすり、ぼくは向かいの席に座っている悪友をねめつけた。高梨さんがいるからってなに浮かれてるんだろうか、この馬鹿は。こっちも言ってやろうか、お前の情けない過去を。
 あのあと、ぼくはなんとか汚名を返上しようと、昨日のことについて正確に説明した。そして、その弁解は呆気なく受け入れられた。
「へえ、そんなことってあるんだな。ホントに」
「偶然とはいえ、おもしろいですね」
 あまりの手応えのなさにぼくの方が愕然としてしまい、高梨さんに笑われた。あの心労はいったいなんのためにあったのだろうか。楽しそうにぼくが泣いたことなんかを語る隣の小悪魔に少しだけ腹が立った。あの、その情けないところはばれないように上手く説明し立つもりなんですけどね――
 そんな気安さが功を奏したのか、高梨さんは圭亮と三神さんに好意的に受け入れられたようだった。彼女はぼくらの雰囲気にもうすっかり馴染んでいる。三神さんとは名前で呼びあってくらいだ。楽しそうに微笑む高梨さんは、ずっと前からこの輪にいたようだった。
「――あ、もうこんな時間か」
 うどんを食べ終え、携帯で時間を確かめると、もうそろそろ昼休みが終わりそうだった。会話に集中していて気づかなかったが、席を立つ学生が増え始めていた。トレイを持つ彼らの顔は少しだけ暗く、その気持ちは大いに理解できた。
「そういや、お前は昼からも授業あったっけ?」
「あるよ。田中センセイの中国文学」
「げっ、あの催眠術師か……がんばれよ」
「ご愁傷様です」
 同情の眼差しで見つめられ、ぼくはため息をついた。圭亮の言葉からもわかるとおり、ぼくが受ける次の講義を担当している教授は、あまりにも説明が迂遠でわかりづらく、受けている学生の半数近くが天国へ旅立つため、落第の催眠術師と呼ばれている。だらだらと喋っておもしろくないわりに、テストが厳しい。
「相馬くんって田中さんの講義受けてたんだ。ボクも受けてるから一緒してもいいかな?」
「別に構わないよ、退屈だしさ」
「涼香さんもご愁傷様ですね」
「大丈夫、八重ちゃん。ボクには暇つぶしにぴったりの玩具があるから」
 ぼくの存在っていったい……。嬉しそうにうなずくなよ、前のふたり。友人じゃないのかね、ぼくらは。
 もうすこしぼくのレゾンデートルに思いを馳せてみたかったが、そろそろ本当にまずい。トレイを持って立ち上がる。
「涼香ちゃん、よかったらさ、週末はこの面子で飲んでるからまた顔出してよ。来るなら、そこの馬鹿に連れてきてもらって」
 ひとのこと馬鹿言うな、アホ。
「ボク、まだみんなとあんまり仲良くないけどいいの?」
「おもしろい玩具は大勢で共有しないとダメでしょ」
「あははは、わかった。八重ちゃんは?」
「歓迎しますよ、わたしの相談相手になってもらわないと。わたしなんかじゃ男ふたりの相手は務まりませんから。圭君なんてわたしといるより、相馬くんといる方が楽しそうなんですから、失礼しちゃいます」
「たしかにこのふたりの相手はひとりじゃ大変かも」
「大変かも、じゃなくて本当に大変なんです」
「ふたりがいいんならお邪魔させてもらおうかな。予定ないし」
 あの、メンバーの一人であるぼくの意見は。
「嫌?」
 潤んだ瞳に見上げられ、ぼくは意思なんて介在する暇もなく首を横に振っていた。
「じゃあ、決定っ!」
 鳴いたカラスがすぐ笑う。ああ、女って恐い。
「はいはい、なに考えてるのかわからないけど、遅れちゃうから急がないと」
 高梨さんは肩を落とすぼくの背を押して歩き出す。背中越しに後ろを振り返ると、仲良さそうにふたりはにやにやと笑っていた。
 ――ああもう、お節介なふたりだ。週末、独り身のぼくが付き合ってるふたりに気を使って断るのを見越して、高梨さんを誘ったんだろう。高梨さんが行くって言うんなら、ぼくも行かざるを得ない。顔を出すのが嫌だというわけじゃないけど、恋人の語らいに水をさすのもなんだと気を使おうと思っていたのに、これじゃ台無しだよ。
 心の中ではそんな悪態をつきながらも、そんな気遣いが嬉しくないわけじゃなく、素直に礼を言うのも照れくさくて、ぼくはべーっと舌を出した。呆気に取られるふたりの顔が、少しだけ愉快だった。
「いい友達だね、ホントに」
 食堂から出ると、ぼくたちのように急いでいる人たちの姿で一杯だった。そんな人波に遅れないよう、ぼくらは並んで歩いていた。
「そうかなあ。三神さんは別としても、圭亮は酷いやつだよ」
「またぁ、照れちゃって。頬が赤いよ」
 さっと頬を触る。
「うっそー! 相馬くんってば、簡単に引っ掛かるんだから」
 ぼくを楽しそうに見つめる高梨さんと目が合う。その会心の笑みに、照れではなく屈辱で頬が赤くなり、ぼくはそっぽを向いた。すっと会話が途切れた。雰囲気が引き締まる。
「……ボクもまだ辛いけど、がんばってみる。でも、ひとりじゃ寂しいから、一緒にいてもいいかな? 迷惑かもしれないけど、泣いちゃったから、きみの前じゃ不思議なくらい安心できるの」
 静かに囁く高梨さんになにも言えず、ぼくはゆっくりうなずいた。さっきまで軽口を叩き合っていたはずなのに、こういう場面になると、ぼくは恥ずかしいくらい口下手で、上手いことなんかなにも言えず、少しだけ自分が嫌になる。「あ」とか、「う」とか心の中で発音して、なんとか口を開く。
「ぼ、ぼくなんかでいいなら、いつまででも一緒にいるよ」
 ああ、全然上手く伝えられない。ぼくも高梨さんに助けられた部分があるとか、そういったことをちゃんと伝えたいのに、ぼくに言えるのはこんなことだけだ。それでも、少しだけくらいは気持ちが伝わったかと隣を盗み見ると、なぜか高梨さんは頬を赤らめてもじもじしていた。
「……そ、それってプロポーズ?」
 ――プ、プロポーズって異国のお菓子ですかな、ばあさんや。って、おばあちゃんはもう天国ですよ!? お、落ち着け、ぼく。
「そ、そんなぁ、ボクたちまだ出会って二日目だよ。いくらなんでも早過ぎるような」
 俯き、照れる高梨さんが可愛いのは認める。でも、ぼくが伝えたかったのはそんなことじゃなくて、まず付き合ってもいないでしょうが。
「ち、ち、ちっが――――うっ!! ぼくはそんなことを言いたいんじゃなくて!」
「……くく、くっくっく」
「ねえ、高梨さん?」
 高梨さんが震えている。聞こえてくる声は嗚咽に似ているけれど、それは笑いを堪えている音で。もしかして、ぼく……はめられた?
「うっそー! 相馬くんって本当に最高の玩具だね」
 悪戯を成功させた彼女は、最高の微笑でぼくに笑いかけていた。
「あのねえ、ぼくだって怒るよ。いいかげんにしないと」
「本気で怒らないの。あ――!」
 高梨さんがぼくの後ろを指差した。いくらなんでも、そう何度も引っ掛かるわけにはいかない。
「そんな露骨なのには引っ掛からないよ」
「今度は嘘じゃないって。田中先生、来てる」
「え!?」
 振り返ると、今度はたしかに田中先生が歩いてきていた。やばい、本当に遅刻する。急ごうと前へ向き直る。
 ――高梨さんがいなくなっていた。
「は! や! く! 遅刻しちゃうよ」
 彼女は数メートル先へと駆け出していた。裏切り者だ。
「誰のせいだと思ってるんだよ」
「嫌そうな顔してつぶやいてないで」
 ――だから、誰のせいだと!
 今日一番大きなため息をつくと、ぼくは走り寄った。彼女と出会ってからため息ばかりついているような気がした。




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