ボクな君

著 南修一






「さようなら」
 今でも好きな吉沢恵美(よしざわめぐみ)からかけられた恋人としての最後の言葉は、そんなそっけないものだった。
 ぼくの気持ちなんて無視した簡単な別れを認めたくなくて、最後の足掻きと伸ばした腕は見事に空を切った。
 手を伸ばしたまま去って行く彼女を追いかけようと腰を上げてみたが、あまりにもそれは情け過ぎるような気がして、ぼくはため息をついて安っぽい椅子に座りなおした。ただみっともなく未練をさらした別れ話は一時間も経たないうちに終わり、青臭く結婚まで考えていたはずの恋は、ぼくの想いと反比例して見事に終止符を打たれたらしい。振り向くことすらなく、彼女はそのまま出て行ってしまった。どうやら本当に恋は終わったみたいだ。
 講義終わりの学生で賑わう夕方のファミレス――見世物みたいな失恋に対する野次馬の内緒話を聞きながら、ぼくは立ち上がる気力もなくて、体中の力が抜けて机へ頬をついた。格好をつける気力もない。どちらかというと泣いてしまいたいくらいだ。
 そんなことを考えながらも、賢しらな羞恥心は泣くなんていう情緒的な行為は許してくれない。だからといって立ち上がる力をくれる気配もない。どうやら、奴らはこれからのことには敏感だけれど、今起こってることには無頓着らしい。今更泣こうが喚こうが、公開失恋以上に恥ずかしいわけじゃないのに。
 よく言うじゃないか、旅の恥はかき捨てって。意味が違うか。ぼくは哂った。
 ……最近、吉沢の様子がおかしいことには気づいていた。なにかあったのか軽く訊ねてみればよかったのかもしれない。けれど、彼女は自分のことについて語るのがあまり得意じゃなくて、振られるなんて夢にも思ってなかったぼくは、彼氏だということに安住してただ話してくれるのを待っていた。
 その結果がこの始末だ。情けないことこの上ない。本当に自分が嫌になる。
 説明を聞いた限り、ぼく以外に好きな男ができたらしい。それくらい黙って別れればいいのに、そういう点に関して彼女は残酷なほど誠実で、ぼくは足掻く暇すら与えられなかった。彼女はもうぼくのことなんかそんなに好きではないのだ。コーヒー一杯で振れる程度の男だ。
 彼女には「こんな気持ちじゃあなたと付き合うのは失礼」って言われた。そんなことを面と向かって言われて、ぼくはどんな風に反応すればよかったのだろう。残念ながら、ウィットなんていう上品なものに富んでなかったから、ただうなずくことだけしかできなかった。
 彼女は少しくらいすっきりしたのかもしれないけど、ただ告げられるだけだったぼくの気持ちはどこに行けばいいんだろう。多分、そんなものはゴミ箱へ捨ててしまうべきなんだろう。というか、振られたぼくがゴミだ、くずだ。
 そんな考えで頭が一杯になって、すっかり冷めてしまったコーヒーだけがぼくの友達なんていじけながら、コーヒーカップを両手で抱えて世界の残酷さに思いを馳せていたときだった。
「――最低っ!! 君なんて死ねばいいのに」
 店中へ響き渡る大きな罵声に、ぼくは知らず体を震わせた。
 一瞬、見知らぬ人がぼくに言ったんじゃないだろうかと思った。誰か知らないが、その人の言う通り、ぼくなんて死ぬべきなんだ。もしかしなくとも、冷めた安いコーヒー一杯で無意味に居座る客に不良上がりのウエイトレスが、我慢できなくなったのかもしれない。
「熱心だったから付き合ってみたけど、君って最低だね。ボクに浮気がばれないと思ったの?」
 幸か不幸か、罵声の相手はぼくではなかったらしい。大きな声で怒鳴っているのは、すぐ隣のボックス席に座っていた女の子だった。
 ふわっと柔らかそうな栗色のショートカットで、大きな目へ大切にしまいこまれている茶色がかった瞳はとても印象的で、生命力に満ち溢れ性別を越えた魅力で一杯だった。女性にしては背が高くて、スポーツが得意なわけでもないのに、無意味に背が伸びてよくのっぽと言われたぼくと並んでもあまり小さくは見えないだろう。
 そんな彼女は綺麗というよりは中性的で凛々しいといえそうだった。さっきまで目の前に座っていた吉沢とは反対のタイプだ。ただふたりとも美しさで一般よりは頭二つか三つくらいは抜けているという点では共通していた。
 なぜか見覚えがあるような気がする。知り合いでは……ないだろう。あんな女の子と面識があったなら、絶対に覚えている。男はそういう点に関しては抜け目ない。ただ同じ大学の学生という可能性はある。大学ともなれば、学部だけじゃなくて学年が違うだけでも知り合う機会は少ないからだ。
「だから、浮気なんてしてないってば! ただの女友達だって言ってるだろ!!」
「ふんっ、どうだかぁ。信用できないね。当然だけど、別れてもらうから」
「おい、待てよ」
 立ち上がって、そっぽを向き去っていこうとした女の子の手を男はつかんだ。さっきやりそうになっていたぼくが言うのもなんだけど、非常に見苦しい。それはつかまれた彼女も同じだったのか、眉根を寄せると力任せに振り払い、その勢いのまま、テーブルにあったグラスを手にとって思い切り男の顔に水をぶちまけた。
――おおっ!?
 自分のことなんて忘れて――あくまで、心の中で――ぼくは喝采を挙げた。周りの客や従業員たちも驚きと賞賛の目で彼女を見つめていた。その女の子がボーイッシュな感じであるのもポイントで、そういった行為が妙に似合って格好いいのだ。
「じゃあね、もう二度と会いに来たりしないでよ」
 水を滴らせている元彼氏に満足したのか、彼女は悠然と歩き始めた。呆然としている彼が妙に間抜けで、ぼくもすっとしたような心持ちになって、ばれないよう軽く笑った。ドラマでありそうなテンプレートな別れに物語の登場人物になって中へ入り込んだような気がして、楽しい気分のまま店の外へ出る彼女を見送ろうとしたのだけれど……
「お酒飲みたいから付き合って」
「……へ!?」
 なぜか、ぼくは袖を引かれ、迷子の子猫みたいに店外へと引っ張り出されようとしていた。引っ張られているといっても相手は女の子なのだから、つかまれている手を払えばいいだけなのに、完全に動揺していたのか、そんなことさえできずにぼくは無抵抗に後をついていった。もしかして、実は知り合いだったのだろうか。でも、知らない子だよなあ。
 体全体で怒りを表している彼女に内心ビクビクしながら、ぼくらはそのまま店を出た。



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