四月は、三枝さん告白模様

Written By Minami Syuichi


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 穂群原学園の校庭の片隅、扉がいくつもついている二階建ての建物がある。外で活動をするクラブの部室兼更衣室だ。その建物の前にふたりの影がぽつんと立っていた。
「蒔ちゃん、急がないと遅れちゃうよー!」
「大丈夫だって、由紀っち。走れば充分間に合うから」
 声をかけたのは外にいた少女で、返ってきた声は中からのものである。どうやらまだ中に残っている人間がいるらしい。
 陸上部のマネージャー、三枝由紀香は珍しく焦っていた。普通ならばさっきのように声をかけたりもしないだろう。全身から醸し出しているほんわかした雰囲気どおり、彼女はのんびりした女の子である。クラブ活動中、目の前に誤投された砲丸が落ちてきても「はわわ」と一言漏らすだけなのだから、その度合いは推して知るべしだ。だから、今の由紀香の状態は本当に珍しかった。
 鞄を持っている両腕は所在なさそうにぶらぶらと揺れ動き、取っ手を握る手からは汗が滲み出て合成革をじっとり濡らしている。頭も足も実にせわしない。
 そんな由紀香を隣で見つめている人間がいる。穂群原学園陸上部走り高跳びのエース――氷室鐘である。日頃から三人娘として一緒にいるだけあって、彼女は親友がここまで焦っている理由を知っていた。しかし、だからといってなにをするわけでもない。彼女はただ由紀香の挙動を見守っていた。
 ――由紀香が慌てるなど本当に珍しい。中々に興味深いな
 結構ひどい友人である。冷ややかな視線の向こう、こんなことを考えているなど誰が思うだろうか。
「おい、蒔の字。今日はクラス発表の日だぞ、忘れてないだろうな」
 そろそろ彼女もまずいと思ったのだろうか。ようやく助け舟を出した。急激に慌しくなる室内。呻き声が聞こえてくる。どうやら、忘れていたらしい。
 ――三年生の新クラス発表。
 これが由紀香に珍しい思考をとらせた原因である。彼女には是非同じクラスになって欲しい人がいた。前の学期までは一緒のクラスだっただけに、今学期になって同じ教室で机を並べられなければ悲しい。今日の朝起きたときから、由紀香はそのことばかりを気にしていた。
 ならば先に見に行けばよかったのだが、どうしてもできなかった。単純に怖かったのだ。憧れの人と一緒になれなかった挙句、親友の三人とも離れ離れになったらどうしようか。そんなことを考え、ひとりではどうしても確かめに行けなかった。赤信号、みんなで渡れば怖くない。そんな言葉を頭に思い浮かべながら、由紀香は三人で見に行けるのをうずうずしながら待っていたのだった。
「あああぁぁぁ――!」
 突然、更衣室の中から叫び声がした。叫んだのはもちろん、鉄火肌のカモシカ少女――蒔寺楓だ。
 続いて、なにかがいくつも盛大に崩れ落ちた音が聞こえてきた。そして、そのばら撒き散らばったものが転がっている音。平和だった空間に緊張が張り詰める。中が大惨事になっているのは間違いなさそうだった。
 鐘は久々に聞いた耳が痛くなるほど大きな音に肩を竦めた。かすかに眉間へと皺が寄っている。怒っているようにも見える表情だが、怒っているわけではない。また、蒔の字の片付けを手伝わされるのか。由紀香ならそういっているのだとわかっただろう。
 そして、その由紀香である。こちらは目を大きく見開いて、虚空をぼんやりと見つめながら固まっていた。
 ――あれ、わたしが片付けるんだよね。あはは。
 更衣室の中から聞こえてきた音から算出した被害の大きさに、頭がショートしてしまったらしい。
 たっぷり三十秒もかけて、ようやく三枝パソコンは再起動をはたした。硝子玉をはめ込んだような虚ろな瞳に、徐々に光が戻ってくる。マネージャーとしての責任感だろうか。恐る恐るではあるが、ゆっくりと部室の扉に歩み寄った。
 鐘は首だけ動かして由紀香を見守っている。というか、関わりたくないだけだろう。未だ眉間には皺が寄っている。
 ドアノブを回して、扉を内側に押した。ギギ、と嫌な音を立ててドアが開く。そこまでしながらも、由紀香は中を覗くことを躊躇した。中を見なければ惨事は確定されないのだ。服やらテーピングやらで散らかっているであろう部室兼更衣室も中さえ見なかったら、記憶にある綺麗な部屋のままだ。可愛い猫の鳴き声が、彼女の頭の中で反響した。
 ――でも、そんなのありえないよね。
 戯言である。握り締めているドアノブの冷たさに、由紀香は現実を取り戻した。いやいやながらも、ドアと壁の隙間に首を差し入れた。
 ――絶句するしかなかった。凄絶な光景にはそうさせる力が充分蓄えられている。目も大きくまん丸に。
「どうしよう、これ……」
 由紀香は思わず小さな声でつぶやいてしまう。
 数分前までいた筈なのに、その部屋は部室の面影を欠片も保っていなかった。部屋中には埃が舞い上がり、中に入るのは許して欲しいぐらいだ。棚からはあらゆるものが地面に散らばり、テーピングや口をあけた救急箱が滑稽だった。
 そして、部屋の中央には奇妙なオブジェがある。うつ伏せに寝ている人間なのだが、お尻が突き上げられてスカートがまくれ上がっていた。つまり、下着が丸見えなのである。おかしなことには花も恥じらう乙女の姿だというのに、その姿にはまるで色気がなかった。幻想もなにもなく、シュールにレアリスムである。なんだか、わけのわからない先鋭芸術を見せられている気分だ。
 ――部活の子たちには見せられないよ。
 ぼうっとした頭で由紀香は思った。今はこんな姿だが、楓は同じ部活の子たちにとても憧れられているのだ。親友の醜態云々よりも、この姿を見れば落ち込むであろう彼らに悪い。
「蒔、ちゃん……」
 ようやく由紀香は言葉を搾り出した。まだ単語もままならない。
「ごめん、やっちゃったよ。由紀っち」
 今まで少しも動かなかった楓が顔を上げた。由紀香は部屋全体を眺めていた視線を下ろした。眼差しが合致する。
「蒔ちゃんのバカ……」
 ――笑うしかなかった。

以下続く(9/27更新)





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