雨中来客
1
雨が激しく窓に叩きつけられている。このテーブルから窓までは少々離れているが、それでも硝子が揺れる音が聞こえてくるくらい激しい雨だ。
空は強くにごって、太陽の光は寸分も通していない。朝から曇っていて、雨が降りそうな気配はしていたがこれほどまで激しい雨脚になるとは思ってもいなかった。
テレビが屋敷にないのも考えものかもしれない。普段、見ることなどないけれど、出かける時ぐらい天候は知っておきたい。それが彼と二人きりの時ならばなおさらだ。まあ、今日はそんな予定はないのだけれど、将来のことを見越して用意しておくことは大事だろう。
なぜならば、以前とは違い私以外にも彼を狙っている輩がいるからだ。あの女狐だけには負けたくない。気を抜いてはならないと私の本能が告げている。それは相手も同じだと思うが、彼の話によると、トオサカは大事なところでドジをやらかすらしいので、チャンスは私の方が多いと考えている。
隙があらば決めてやろうと固く心に誓っているけれど、想い人の鈍さにはほとほと手を焼きそうだという意見で、私たちの意見は合致していた。まだ道は遠い。
「はい? 誰かしら」
と、その時。ドアがノックされた。なんの気負いもなしに扉の向こう側に声をかける。
「エミヤです。お嬢様。少々お早いですが、お茶にしましょうか」
重厚な扉の向こうからは、想い人の声。刹那、鼓動が跳ね上がった。
「ミ、ミス・トオサカを待たなくてもよいのかしら?」
激しい鼓動を抑えきれず、私の言葉は少し乱れていた。動揺を悟られなかったか少し心配になる。エミヤシロウという男はアルティメットなまでに鈍感なくせに、人の機微には敏感なのだ。まったく信じられない素質だ。
その才能を女性への聡さに半分分けて丁度均衡が取れるぐらいになるだろう。そうなったらシロウではなくなってしまいそうだけれど、私にだけそうなってほしいと思うのは我侭だろうか。トオサカ・リンもきっとそう願っているに違いない。
「ミス・トオサカは少し遅れるようです。先に始めていても構わないという連絡を承りましたので、お嬢様に伝えにきました」
「…………そうですか」
私は生返事を返して、窓の外を見た。相変わらず、雨脚は強くなる一方だ。唐突な大雨のせいで、トオサカは色々な準備を増やさなければならなかったのだろう。
普通、この雨ならば外出を控えるものだが、こずにはいられない理由がある。私がトオサカの立場だったとしても、無理を押してこの屋敷にやってくるだろう。
想い人との一時の歓談。…………抗えない誘惑に違いない。
「――様、あのお嬢様!」
「は、はい!」
シロウの声に現実に引き戻されて、私はびくっと身体を振るわせた。扉越しだというのに大きな声だった。
「……中に入ってもよろしいでしょうか?」
「当たり前です。早くお入りなさい」
間を置くことなく扉が開き、ティーポットとカップ、お茶請けの菓子を上に乗せたワゴンを押して、エミヤ・シロウが姿を現した。いつもどおりの白のシャツに黒のベストを羽織って、給仕のような姿だ。いや、私の午後のお茶や間食を運んでくるのは彼なのだから、給仕といっても差し支えはないだろう。
「お嬢様、どうかなされましたか。なん度呼んでも返事がないようでしたが」
「なんでもありません! それに二人なのですから、お嬢様と呼ぶのはおよしなさい」
シロウは心配そうな表情だったが、つい声を荒げてしまった。どうして、ぼんやりしていたなどといえるだろうか。これぐらい察してほしい。……というのは少し無理なお願いかもしれない。
彼はなにもいわず、私と自分の分のカップに紅茶を注ぐと、ちゃんと目の前に差し出してくれた。そして、私の正面の席に座る。これでもう、私の友人のエミヤ・シロウだ。
「ルヴィア、どうしてそんなに怒ってるんだ?」
「怒ってなんかいません……」
それだけいい置くと、私はカップを手にとって紅茶を口に含むと、つんと顔を背けてやった。そんなことを訊くのは、マナー違反だ。気が利かない男という評価は覆りそうにない。
「俺がこんな性格だっていうのはもうわかってるだろ。やっぱり仕事とそうじゃない時はちゃんと区切りをつけないと」
私の怒っているという意思表示に困っているのか、シロウは後頭部を人差し指で掻いている。
「ええ、知っていますとも。シロウが朴念仁で鈍感だっていうことは充分に」
「うっ、ひどいぞ、ルヴィア。昨日もそうやって俺を苛めただろ。遠坂も顔を見れば挨拶のようにいってくるし、正直、俺は傷ついてるぞ」
本当にこたえているのか、シロウはうつむいて背中にくらーいオーラを背負い始めた。ちょ、ちょっといい過ぎたかしら。背中をつーっと冷や汗が流れていく。
「まあ、シロウのよさはそんなことじゃありませんし、気にしなくても」
「……気にするぞ」
小さい声でいって、こちらを上目遣いで見ているシロウは少しだけ可愛かった。執事然としている普段はこんな顔は見られない。彼に近付いているという実感が湧いて、嬉しくなってくる。ちょっと悪ふざけしたくなるのは、シロウに悪いだろうか。
「ルヴィアはまだいいけど、遠坂なんかひどいんだぞ。俺がちょっとでもしくじると、馬鹿々々の乱れ打ちなんだから」
「まあ。シロウは馬鹿ではありませんわ、少々要領は悪いですけれど」
「フォローになってない」
シロウはさらに落ち込んだようだ。こうなると、私では手に負えない。浮上してくるまで待つしかないだろう。それでも、最近は落ち込むことにも慣れて、早くなってきているけれど。
こうしていつの間にか、話の主題はシロウの魔術特訓の方にシフトしていた。トオサカが馬鹿々々と怒鳴ったというのは、シロウが彼女の要求を満足にこなせなかった時だろう。私も教えるのはきつい方だと思うけれど、彼女ほどではない。興奮すると、周りが見えなくなる質なのだと思う。
私たち――三人が同じ場所で出会って、もう三ヶ月が経とうとしていた。シロウを共通の弟子とするという荒唐無稽な話は、最初こそごたごたしたものの、とう初の懸念と反対に上手く機能していた。
シロウへの魔術特訓は週に6日ある。日曜日を休日として、私とトオサカで三日ずつ分担している。研究の息抜きと思えば、そう辛いものではない。それに、二人っきりで過ごせるのだから、この上ない幸せといい換えてもいいだろう。
エミヤシロウは優秀な生徒ではなかった。はっきりいって、私やトオサカには遠く及ばないだろう。意地悪でいうのではなく、これは生まれ持っての差なのだからしょうがない。
しかし、彼には特出している点があった。
武具――その中でも
剣
との相性がずば抜けていた。一度、干将莫耶という夫婦剣の投影を見せてもらった時、私は感嘆に溜息を漏らした事を覚えている。シロウは謙遜していたが、見事すぎる投影だった。
投影という魔術はそれほど重宝しないといわれている。使われることはあっても、精々儀式の補助――つまり、手に入れられなかったものを真似る程度だ。
それなのに、あれは偽ものだとわかっていても、惚れ惚れするほどだった。ついシロウを憎んでしまいそうなほどに。
けれど、それを除けば、シロウは一般人に毛の生えた程度のひよっこだった。それなのに、異常に魔力量のキャパシティが高いことがわかった。彼にいわせれば、いつもタンクの半分ほどしか入ってないらしい。
もう少しで初級は卒業する予定だけれど、まだまだ目は離せそうにない。まあ、目が離せるようになっても、逃がしてしまう気など毛頭ないが。
「なんだかんだいって、二人ともきついんだよな。その上、指摘すると本気で怒るし……」
シロウが目の前でぼそぼそつぶやいている。なんだか、失礼なことをいわれている気がするのはげすの勘繰りだろうか。
「ねえ、シロウ?」
「は、はい!! なんでしょうか、ルヴィアお嬢様」
「!?」
私は少し驚いてしまった。ちょっと声をかけただけだというのに、シロウが立ち上がらんばかりに背筋を伸ばしたからだ。やっぱり、後ろ暗いことを口にしていたに違いない。
それに、またお嬢様と呼んでいる。ちょっと拗ねたくなる。
「あのー、なにかお気に触るようなことをしたでしょうか?」
「…………ふんっ」
揉み手で謝るシロウから、私は思いっきり顔を背けてあげた。おろおろしている表情を見られないのは、ちょっとではなくかなり残念だけれど、少しお灸を据えてやる方が彼のためだ。
「悪かったよ、なにをしたら許してくれる?」
「…………」
徹底的に無視だ。なにが悪いのかもわかってないくせに、許してもらおうなんて虫がよすぎる。
「……ルヴィアの好きなものなんでも作るからさぁ、許してよ」
「………………うっ」
つい、呻き声がもれてしまった。シロウの料理の腕は絶品なのだ。サンドウィッチからお菓子まで、彼の手にかかれば美味しくないものなんてない。
「二つまでいいぞぉ、なんでもいいから」
「………………うっ、三つなら……許します」
「よし、契約成立だ!」
悔しい。かなり悔しい。なんだか、ものにつられたみたいで、卑しいと思われなかったか心配だ。
これでも、私はエーデルフェルト家で生きてきた人間で、美味しいものは数限りなく口にしてきた。トオサカにいえば必ず羨ましがられるであろう類の料理も食べている。
けれど、シロウの作ったものにはなにもかも及ばないのだ。彼の料理には想いが込められている。「美味しかった」といってあげると、とても嬉しそうに笑う。
「そういえば、シロウ」
「うん? なんだ」
「あのケーキ、また作ってくださいね」
ケーキで思い出す。そういえば、シロウと初めて出逢ったのもこんな雨の日だった。
2
その日も今日と同じ様に、窓へと強く雨が叩きつけられていた。こういうことは思い出すだけで悔しいのだが、私はその前日女狐ことトオサカ・リンに見事に一杯食わされていて機嫌が悪かった。いいわけはしたくないけれど、たまたま寝不足だったからしょうがなくということを付記しておこう。
だから、私はその鬱憤を発散させようと屋敷を散歩していた。いつもなら、広い庭を歩いていれば機嫌も自然に治っていくのだ。けれど、雨のせいで散歩と洒落込むこともできそうにない。その上、ロンドンは晴れることがないのではと思うほどの曇天だった。一週間も長雨が続いていたことも、機嫌の悪さに拍車をかけていたのだろう。
「まあ、どうして誰もいないのかしら。私は機嫌が悪い時はいつもそう」
愚痴をいいながら、私はたまたま目についた扉を開けた。どんな部屋なのかは特に気にしていなかった。ただ誰かがいればいいとだけ思っていた。
「うーん、いい匂い」
どうやら、部屋はキッチンに通じているらしい。女性ならば誰でも好きであろう甘い香りが、私の鼻腔をくすぐった。思わず目を細めて、徐々に強くなる芳香に近付いていく。いつもは入ろうとすら思わないキッチンへの扉が、強く私を誘っていた。
「誰かいるの?」
「あ!?」
扉を開けると、見知らぬ人影がそこに立っていた。ここには一人として雇われていないであろう東洋人の青年。背が高く、体つきはとてもシャープで、少しの贅肉も見あたらない。髪は目立つ蜜柑色、心優しそうな相貌をしていて、頬には生クリームをつけていた。呆気にとられてこっちを見ている表情には、驚きと申し訳なさが同居している。どうやらあちらだけは私の名前を知っているようだった。
「あなた、お名前は?」
明らかに悪さをする人間ではないことはわかったけれど、一応用心して扉に手をかけながら訊いた。
「衛宮士郎です。ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトさんですね。門の前で倒れていたそうで、ご迷惑をおかけしました」
彼は焼き上がったスポンジケーキにクリームを塗りつけている途中らしく、クリームが詰まった搾り出し器を手に持ったまま、深々と私にお辞儀した。
「エミヤ、……シロウですね。話はちゃんと聞いています。それでなにをしているのですか?」
私は興味津々ということを隠しもせずに彼に近寄った。
「みなさんへのお礼にケーキでもご馳走しようかと思いまして。料理の腕だけはちょっとだけ自信があるので」
エミヤシロウは頭を上げると、スポンジケーキへの作業を再開する。その手つきは素人目にも慣れていることがわかって、確かに美味しそうだった。私は思わぬ暇潰しができたことに少し心を躍らせていた。
「えーっと、シロウとお呼びしてもよろしい?」
「ええ、構いませんよ」
シロウは作業に没頭しているのか、こちらも見ずに答えた。
「じゃあ、シロウはお幾つなのかしら? やけに英語が堪能のようだけど」
「俺、じゃなくて私はもう二十五になります。英語が堪能なのは、色んな国に行ってるからですよ」
「喋り辛かったら無理しなくてもいいのよ。あなたは使用人ではないのだから」
「そうですね。違うな、そう。なら、気軽に話させてもらうよ」
なん度か咳き込むと、シロウはより滑らかな話し方になった。どうやら、堅苦しい喋り方は苦手の様だ。
「ええ、私もそちらの方が嬉しいですわ。メイドではなくて、話し相手が欲しかったところですから」
私はテーブルから椅子を持ってきて、それをシロウの隣に置くと腰を下ろした。
「それで、訊きたいことがあるんですけれど……」
「うん? なんでもいいぞ」
シロウは一度振り返ると、持っていた絞り出し器を調理台に置いて冷蔵庫へと歩いていった。もうクリームのデコレーションは終わったらしい。冷蔵庫を閉めた彼は手に苺とオレンジを持っていた。きっと上に乗せるか、間に挟むに違いない。
「どうして倒れたりしたんですか? こんな都会で」
「……あ、えーと、そうだな」
シロウは包丁を右手に持ったまま固まっていた。どうやらいい難いことをずばり引きあててしまったらしい。
「シ、シロウ、いい辛いことだったら別にいわなくてもいいんですのよ」
私は慌てて彼の背中に声をかけてしまった。
「いや、別にそういうことじゃないんだ。今更ながら、自分の馬鹿さ加減に嫌気がさしてね。ああ、なんて馬鹿なんだと思った次第」
「それなら尚のことですわ。そんなこと他人にいいたくありませんでしょう?」
「うんにゃ、笑い話にするのにぴったりで聞いてもらいたいぐらいだ」
「まあ、仕様のない人」
私は思わずくすりと笑い声を上げていた。おそらく、彼も笑っていただろう。外は大雨だというのに、厨房の空気はまるで晴れた昼下がりの様に優しく流れていた。
「それじゃ、私が聞いてあげましょう」
私は微笑みながら、彼の背中に向かって茶化すようにいった。
「お願いするよ、ルヴィアゼリッタさん」
「シロウ、私のことはルヴィアでいいですわ。それで同等です」
「……じゃあ、ルヴィア。呆れないで聞いてくれよ」
私は思わぬ話し相手にすっかり機嫌を治していた。彼のぶっきらぼうなのに優しい口調には不思議な魅力があった。
「本当は行き倒れるつもりなんて少しもなかった。まあ、それは当たり前のことなんだけど……。俺はこの街に知り合いがいるんだよ、高校時代からのね。もう五年も会ってないけど、この街にいることだけは知ってたからさ、食い扶持位は紹介してもらえるだろうと踏んでたんだ。料理ならできるから、どっかで住み込みとして働いてもいいかなって思ってね」
もうこの時、私はシロウの料理の腕を認めていた。後ろから見ているだけで、彼の包丁捌きの鋭さが見て取れたからだ。私は黙ってうなずいていた。
「そこまではよかったんだ。それなのにうっかりしててさ、俺、そいつの住んでる所も電話番号も知らなかったんだよ。ロンドンは広かったよ」
シロウは肩を落として項垂れていた。おそらく、この大都会を足が棒になるまで歩き回ったことだろう。そんなに簡単に一人の人間を見つけられるはずがない。私は神妙な顔をしながらも、心の中では呆れ返っていた。
「それは本当の話なんですか、シロウ?」
「ああ、全部本当の話だよ、ルヴィア。存分に笑ってくれ」
肩を落としたまま、シロウは器用にフルーツをまた斬り始めた。二人の間に、沈黙の
緞帳が落ちる。
だというのに、
「……フフフ」
「……ハハハ」
私とシロウはどちらともなく声に出して笑っていた。こんなに気持ちよく人と話すのは何年ぶりだろうか。トオサカ・リンに一泡吹かせたとしてもこれほど楽しくないだろう。私はそれだけで今日の雨雲に感謝したくなった。エミヤ・シロウに逢わせてくれてありがとう、と。
それから数分、他愛もない話に興じていると、
「出来たっ!」
とうとうシロウのケーキが完成した。
「うわぁ、綺麗ですわよ、シロウ。見た目だけで充分美味しそうです」
私はいても立ってもいられず、シロウの背中越しに完成したケーキを盗み見た。白雪のような生クリームの上に、色鮮やかな紅とオレンジが散りばめられている。私は喉がなるのを必死で我慢していた。
「じゃあ、ルヴィアが一番早く食べるか?」
「はいっ、是非!」
シロウが綺麗にケーキを切るのを横目で見ながら、私は自分で皿とフォークの準備をした。今、考えるとちょっとはしたなかったかもしれない。
皿とフォークを手にして戻ると、大きなケーキは八分割されていた。
少々大きい気もしたけれど、私はなにもいわずシロウからカットされたケーキを受け取った。
フォークで汚れのない白い肌を崩すのは気が引けたが、一口サイズにするとひょいと口に入れた。
「美味しいっ!」
私は思わず叫んでいた。日々美味しいデザートを口にしている私でも、素直に美味しいと思えた。
「……ありがとう、ルヴィア」
「え……?」
私はシロウの顔を見たまま固まっていた。不意打ちだった。なんの魔力防護壁も用意していなかったところに、テンプテーションをかけられたみたいに私は呆けてしまった。
だって、生まれて初めて見たのだ。異性の、いや、人間のこんなにも嬉しそうな笑顔を。
だからだろうか、私は次の瞬間、躊躇うことなくその言葉を口にしていた。
「シロウ、あなたこの屋敷で働かない?」
「へ!?」
これが、私たちの出逢い。そして、エミヤ・シロウがエーデルフェルト邸で働くことになった
経緯(だ。
私はまだあのケーキの甘さを憶えている。雨の日には必ず思い出されるもの一つである。
3
「ふぅーん、私もそのケーキ食べてみたいなぁ、衛宮くん」
「うわぁ! と、遠坂、いつの間に来てたんだ」
耳元でいきなり「赤いあくま」の声がして、俺は立ち上がった。ゆっくり振り返ると、遠坂凛が俺を睨みつけながら立っていた。口を尖らせて拗ねてるモードらしい。ああもう、手に負えないったらありゃしない。
「さあね、あなたたちが楽しげに話をしてた時からかしら。まあ、そちらのお嬢様はとうに気付いてたみたいだけど」
遠坂は不機嫌オーラを隠すことなく歩み寄ってくると、俺の隣に腰を下ろした。殺気がひどいので、俺はなにもいわず彼女の分の紅茶をカップに注いで差し出した。一人の時はそうでもないのに、二人になると途端に手がかかって困る。
「当たり前ですわ、ミス・トオサカ。私からは扉が見えているのですから」
「ふん、それじゃなんで気付かない振りしてたのよ」
「さぁ……」
ほら、これだ。もう火花が飛び散ってる。
「二人とも、喧嘩するなよ」
「「喧嘩なんかしてません!!」」
それなのに、俺がなんかいうとこういう風に団結するんだよな。いがみあってる様に見えて、一番仲がいい友達なんだろう。はぁー、それならさっさと仲よくなればいいのに。
とまあ、日曜日のお茶会はいつもの様相を見せていた。遠坂とルヴィアが張り合い、俺が止めようとして逆襲される。お約束の展開に思わず顔が綻びる。心が安らぐというのはこういうことだろうか。
「どうしたの、士郎? にやにや笑って気持ち悪いわよ」
「気持ち悪いはないだろ、遠坂……」
せっかくいい気分に浸ってたっていうのに、なんなんだろうかこの女は。本性を知らなかったとはいえ、彼女に憧れていた昔の俺をぶん殴ってやりたい気分だ。そろそろ本気で落ち込むぞ。
「ミス・トオサカ、それはちょっとひどいですわよ。けれど、シロウもそんな恨めしそうな目で見るんじゃありません」
あれ? 珍しいな、ルヴィアが俺と遠坂をなだめてるよ。それは隣に座っている遠坂も同じ心持ちなのか。訝しげな表情で、屋敷の女主人を見つめている。しかし遠坂、そのあからさまな表情はやめた方がいいぞ。
「ルヴィアゼリッタ、あなた怪しいわよ」
うわぁ、さすが「赤いあくま」だ。直球ど真ん中の言葉を発した。
「……失礼かもしれないけど、俺もそう思う」
恐る恐る俺も遠坂に便乗した。卑怯だとはいわないでほしい。ここでの俺の発言権は保証されてないのと等しいのだ。
「まあ! 二人ともとっても失礼ですわね。私だって、他人の喧嘩を止めること位あります」
まあ、そりゃあるだろうけど、俺たちが知りたいのはそんなことじゃなくて、どうして止めたのかってことなんだが。
ぷいと顔を背けたルヴィアが、機嫌を悪くしたことを知って、俺と遠坂は顔を見あわせた。
――ほら、士郎が行きなさいよ。あなたここで働いてるんでしょ。
――と、遠坂、無茶いうなよ。俺ついさっき怒らせたばっかだぞ。
――でも、私が話しかけたってどうにもならないことぐらい、士郎にもわかるでしょ。
――う、……たしかにそうだが、俺は嫌だからな。
――士郎もう大人でしょ。駄々こねないの。ほら、あたって砕けなさい。
――なんで砕けないとならないんだよ!
ここまでが、俺と遠坂の間で行われたアイコンタクトの全てである。もちろん俺に拒否権などあるはずもなく(ここで勘違いしないでほしいのはあくまで師匠の命令だからで、別に遠坂が怖かったわけじゃない)、おずおずと目の前の雇い主に声をかけた。
「あの、ルヴィア、怒ってるのかな?」
俺は戦々恐々としていた。
けれど、
「士郎。……雨があがりましたわ」
怒っているはずのルヴィアの声はとても穏やかだった。
「え?」
俺は聞き間違えたのかと思った。
「通り雨だったようですわね。もう空が晴れ始めてますわ」
「ああ、そうみたいだな」
確かに空は灰色から青へと衣替えしようとする最中だった。凄い速度で撤収していく雲を半ば呆然として見送る。
「ミス・トオサカ、シロウ。……雨はお好きですか?」
「私はどっちでもないわね。外にいなきゃ、降ってても晴れてても、好きにしてって感じかしら」
遠坂はいきなりの質問に戸惑うことなくすらすらと答えた。そして、答えろと俺に目で合図する。
「俺は晴れてる方が好きかな。じめじめしてるのは好きじゃないから」
窓の外をずっと見ていたルヴィアは俺たちが答え終わると体ごとこちらを向いた。――そして、微笑む。
「私は雨の方が好きですわ。じめじめするのは嫌いですけれど、雨の日はいいことがあります。雨の日には必ず、よい友人が訪ねてこられますから、シロウや……リンが」
この時、俺と遠坂は一分の隙もなく彼女の微笑みに魅了されていた。このまま時が止まって、二度と出られない迷宮に閉じ込められていいとさえ思えるほどの美笑だった。
「そうね、ルヴィア。喧嘩するほど仲がいいってよく聞くことだし」
答えたのは遠坂だった。いつの間にか二人とも名前で呼び合っている。俺はそのことすらも呆然として受け取るしかなかった。
「喧嘩などしておりませんわ。いつも、あなたが向かってくるから応じるのです」
「なによ、そっちだってむきになるくせに」
「そんなことありませんわ」
せっかく仲よくなったというのにまた口喧嘩を始めそうな二人に、俺は溜息をつきながら間に入った。
「まあ、待てって」
「「シロウ!!」」
いつもは恐ろしい怒鳴り声に、今回の俺は引き下がらなかった。肩を竦めながら、窓の外を指差す。
「外に大きな虹が出てるぞ。見ないと損じゃないか?」
二人は弾かれたように、俺の指差している窓に視線を向けた。
「まあ、見事な虹ですわ」
初めに歓声を上げたのはルヴィアだった。
「ほんと、あんなに大きくて綺麗な虹、何年ぶりに見るかしら」
続いて、遠坂。
俺たちは立ち上がると、窓に歩み寄った。雨があがったばかりの大空に、今度は灰色ではなくカラフルに染めきろうとしているのではないかと思えるほどの大きな虹が架かっていた。
「こんなのを見せられてしまいますと、晴れの日も好きにならざるをえませんわ」
「そうね、あの虹とっても綺麗だもの」
俺は自然と、背中を預け寄りかかってくる二人の肩を抱いていた。俺の腕の中で、遠坂とルヴィアの二人が、まるで姉妹のように左右非対称に首を傾げている。女性特有の柔らかさに、思わず頬が紅潮する。
けれど、手放す気など少しもなく。すこしでも今のままでいたいと思ってしまう。
なあ、セイバー。これって浮気かな?
虹の架かっている青空に、
愛しき騎士王の顔が浮かんでいて、
彼女は頬を膨らませて怒っているように見えた。
脱稿 2004/03/15 21:03:13
後書き
というわけで、「黒金美姫」の続きをお披露目いたします。
今回も執筆時間は一日でした。やはり、感想メールの力は偉大です。本来書くはずだったものを押しのけて、こっちを書いてしまいました。
今回のこのお話はメールを頂いたしゅうさんの「ルヴィアと士郎の出会いはどうだったのか?」というリクエストを受けて書き上げました。しゅうさんにご納得いただける出来だったなら、これ幸いです。
今回は以前より私のルヴィア好きが暴走してしまいました。これだけ彼女を掘り下げた作品はないでしょう(<それだけは自慢)。まあ、凛がわりを食ってしまったかもしれませんが、彼女にもちゃんと活躍の場が残されているのでご安心あれ。
それで、次回作ですが一応用意させていただいております。長編ではなく、中編が二本になると思います。
一本は以前お伝えした
時計塔
でのお話ですが、もう一本は過去の冬木市での話です。こちらはルヴィア嬢の出番が皆無ですので、お気をつけください。
また結局はメールの力に頼ってしまうことになりますが、続きを読みたい方はぜひお便りください。
「黒金美姫」のメールにはちゃんとお返事させていただく予定です。もう少しだけお待ちくださいね、これにかかりっきりでしたので、読むだけでした。
では、(あれば)次のお話でお会いしましょう。