In the case of him
2
真っ直ぐな道を十分ほど歩いて入った場所は、四角い部屋だった。長方形ではなく、きっちり測って作られた正方形だ。
床と壁は相変わらず石で出来ていた。しかし、この部屋は今までと違い――煌々とした明かりが灯っている。暗闇には慣れきった眼には少し辛いぐらいの光量で、寝ているところにいきなり懐中電灯を突きつけられたような気分だ。
地下らしく、窓はない。その代わりといってはなんだが、石の壁にはものを引っかけるための鉤(が打ちつけてあり、サーベルや盾がかけられている。そのためか、部屋は兵士たちの修練場みたいな空気を醸し出していた。
いまだ慣れない眩さに目を細めながら、俺は部屋の中央――こちらに背を向けて立っている人間を見つめていた。こいつが立ちふさがる“困難”なのだろう。一合、二合と斬り結び、斬り伏せなければならない。そうして、一秒でも早く三人と合流しなければ――。
そんな思いを抱きながらも、このまま時が止まってしまえばいいのに、と願っている自分がいることも事実だった。時が少しでも進めば、決定的な事実を叩きつけられそうな予感がひしひしと身体を打っている。
そんな俺の葛藤など微塵も気にせず、戦うべき敵がいるというのに“困難”は、こちらに背を向けたまま泰然と立ち尽くしている。後頭部で見事に織り込まれた綺麗なブロンド、清廉さと戦闘に臨む気迫という両極端なものを違和感なく融合させているぴんと張った背中。
――なぜか、涙がこぼれそうになった。
なにかきっかけでもあったのだろうか。彼女が身を翻そうとする。
「貴方が、私の相手ですね」
鈴の音のような涼やかな声でそう言い。彼女――セイバー(はこちらに向き直った。
剣の柄に手をかけ、切っ先を地面に突き立てているその姿は、剣士としての精力に満ち溢れ、威風堂々としていて、こちらの身を自然と竦めさせる迫力がある。彼女の澄んだ蒼い瞳は、衛宮士郎を敵として認識している。
音のない衝撃が、身体だけではなく心までをも打ちのめした。歓喜、悲哀、憤怒――様々な感情が行き過ぎては還ってくる。久しぶりに、この夢のような現実が痛かった。
「私の声は聞こえていましたか?」
いつまで経っても言葉を発しない俺に苛立ったのだろう。セイバーは右の眉を吊り上げた。
一歩後ずさり、俺は小さくうなずいた。声は出ず、ただ嗚咽を漏らさないようにするのが精一杯だった。
「それでは構いませんね。参ります」
セイバーは柄をきつく握り締め、剣の切っ先を俺に向けた。白銀の凶器が照らし出され、やけに生々しいぎらついた光を反射させている。殺気と剣気が一斉に吹き出て、俺の身体を舐め回し後方の壁にぶち当たった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!?」
彼女とは違い無手の両腕を突き出し、俺は無様にも数歩後ずさった。かすかに膝が震えている。
言い訳に聞こえるかもしれないけれど、俺は死ぬことが怖いわけじゃなかった。そんなもう覚悟しきっていることよりも、彼女と傷つき合わねばならないことの方が何倍も恐ろしかった。
「なんですか」
「どうして、俺が…………君と戦わなきゃいけないんだ?」
セイバーと呼んでしまいそうになる自分を抑えるのが精一杯だった。多分、いや確実にそう呼んではならないだろう。目の前に立っている彼女は、セイバーであってセイバーじゃないんだから声に出してはいけない。どんな苦しみに苛まれようとも、それは絶対に引かなければならない一線なのだろう。
セイバーは一瞬目を大きく見開いたあと、小さく重い溜息を吐いた。
「貴方と私でなすことに、戦い以外のなにがあると言うのです。しかし、私も無駄な殺生がしたいわけではありません。貴方が消滅の時間までなにもしないというのなら、そこに立ち尽くしていればいい」
冷たく辛辣な声だった。苦しい。まるでセイバーにそう言われているみたいだ。
「君が通してくれさえすればいい」
逃げるのか? 衛宮士郎。それとも、そんな幻想を本気で抱いているということなのか?
逃げるわけじゃない! 傷つけ合わずに済むというなら、それが一番じゃないか。
どこかから響いてきた幻聴に対する答えは、弱々しくならざるを得なかった。自分でも一毛も信じていないことに、どうやって弁解すればいい。
「それは無理です。ここは通すわけにはいかない」
「なんでさ!?」
当たり前の答えが返ってきたというのに、俺は情けない声で食い下がった。果てしない馬鹿だ。けれど、今の俺にはそう叫ぶ力しか残っていなかった。
「この扉を守ること。これだけは決して誰にも譲ることは出来ない。“私”の中の唯一の本物。それだけが私をここに立ち続けさせている」
「…………」
子供のように泣き叫んでいる俺に口を挟める言葉じゃなかった。彼女の声は感情が抑えられ、冷たく硬質なものだった。表情も声に相応しい無表情だったが、なぜか俺には今にも泣き出しそうな表情に見えた。
「貴方に私が誰かわかりますか」
問うている口調ではない。書を諳(んじている時のただつぶやいている声だった。
「君はアーサー王だ」
しかし、俺は答えた。間を置くことなくそうした理由は自分にもわからなかった。
「そうですね。私はアーサー王だ――」
彼女はかすかに笑みを見せた。――儚い笑みだった。
「――まあ、そんなことはどうでもいいことです。私の正体がアーサー王であろうと、それは“私”のことではない」
「……それはどういう意味だ?」
「たしかに、私はアーサー王の辿った軌跡を知り、剣を振るった能力を持ち、幾多の戦場を駆け抜けた経験がある。すべてを持っています。しかし、だからなんなのです。“私”はそれらを押し付けられたアーサー王の影でしかない。ここで生まれた“私”にはなにもないのと同じことだ。……二〇〇年の時は、そのことについてはあまりにも長く、悟るにはあまりにも短すぎた――」
セイバーは己を嘲るような表情になり、滔々(と語る。
「そんな“私”にあるものは意識を獲得しえた時に与えられた『扉を守れ』という命令だけだ。それを蔑ろにしたならば、“私”がここにいた意味などなくなってしまう。それはあまりにも恐ろしいではないですか」
彼女の言っていることに納得はできなかったが、理解は出来た。俺にとってセイギノミカタになることが決して譲れないのと同様に、彼女にとっても絶対守らなければならない事柄があるというだけの話だ。
――戦うしか……ないのか。
ゆっくりとだが俺の中でなにかが固まり始めていた。それは戦意と、または覚悟と呼ばれるものかもしれない。しかし、あまりにも時間がなさすぎた。俺は中途半端でどっちつかずな心を持て余しながら、俯いていた顔を上げた。
「さあ、それではどうしますか」
答えは一つだろう。だが、瞳を合わせる余裕はなく、かすかに視線をそらしながら、俺は無手の掌を何度も開いては握った。決めたわけではなく、決めさせられた覚悟は酷く脆(い。そんな気持ちを手で幾度も握り締め、この手で剣を握るんだと自分自身に言い聞かせねばならなかった。
「…………戦おうか」
「そうすべきでしょう」
彼女は軽くうなずき、話していた間下ろしていた刃を再び持ち上げた。もう……待ったはなしだ。
「――――投影(、開始(――――」
自己暗示の呪文に基づき、俺の両手にいつもより遥かに重い夫婦剣が具現した。この剣の重さは、きっと心の重さに違いない。
左手の陰剣莫耶を逆手に持ち直し、俺はかすかに腰を落とした。目の前の彼女は両刃の両手剣をこちらに向けた。彼女の剣は“風王結界(”の加護を受けていない。おそらく、そこまでの魔力量を割けなかったのだろう。
お互いに言葉はない。沈黙したまま俺と彼女は、円を描くようにしてゆっくりと距離を詰めていく。五メートルから四メートルへ。そして、さらに二人の間合いはさらに縮まる。
「はあっ!!」
自身への発破も込め、叫びながら俺は一挙に前へ出た。このまま詰めていけば剣自体の間合いが短いこちらが、不利になるのは目に見えて明らかだったからだ。
飛びかかるようにして跳躍し、俺は右上方から袈裟に切り落とそうとした。そして、左下方からも逆袈裟に切り上げる。同時に飛び出したふうに見える剣閃だったが、わずかにタイムラグが存在していた。
「甘いっ!」
そんな瑕を見逃すような彼女ではない。たとえ、押し付けられた経験であったとしても、それを使わない手はないだろう。過去幾度かそうしたように、彼女は襲い来る刃を最低限の動きでいなし、捌いた。
着地したと同時にほんのわずか身体が泳いだ。〇,〇一秒という短い時間が体勢を立て直すのに使用され、俺は攻撃の順番を相手に譲ることになった。瞬きだけしかできない時間ののち、頚部めがけて鋭い一撃が飛来した。
「つぅ――!」
無様な呻き声を漏らしながら、なんとか陽剣干将でその刃を退けた。あまりにも速く鋭かった剣閃を払ったためか、かすかに身が仰け反った。その隙を見逃してくれるはずもなく、すぐさま首に向かって剣が打ち据えられる。それも空いていた左でなんとかしのぎ後退する。思わず息が上がった。手も足も出ないとはこういうことを言うのだろう。
考えれば、八年前――俺は稽古ですら彼女に一度も勝ったことはなかった。この劣勢も当たり前のことかもしれない。さあ、俺の命はあと何合保つだろうか。なにも見えない闇の中、俺は自らを嘲笑った。
後ずさり、徐々に壁へと近づきながら、俺は彼女の攻撃を間一髪捌き続けた。右、左、右、左と顔のすぐそばで火花が散る。もうそろそろ限界かもしれない。彼女の剣戟が一段と速く激しくなってきているような気さえしてくる。
「はああっ――!!」
今まで一番大きい雄叫びが彼女から発せられた。放たれていた殺気が段違いに増し、彼女の後方で風の唸る音が聞こえた。“風王結界(”が解き放たれる音ではない。それは彼女が剣を振るったために起きた風の抵抗によるものだった。
風切り音を供に、最高に鋭い鋭鋒が脳天から唐竹割りに落ちてくる。片手では到底防ぐことの出来ない凄まじさだった。目を見開きその軌道を眺めながら、俺は頭上で陽剣干将と陰剣莫耶を交差させた。二つの剣でその鋭鋒を迎え撃つ。
頭上からつま先まで電撃が流れ落ちたような衝撃が貫いた。それでもなんとか耐えられたのか、まだ生きている。
「があっ!」
歯をきつく食いしばり、刀を押し戻そうと体中の力を振り絞った。頭蓋を叩き割ろうと振り降りてきていた刃が呆気なく返っていく。
――えっ!?
あまりにも呆気なさすぎた。その跳ね返りはあくまで彼女によって持ち上げられたもので、剣を押し返そうと腕に込められていた力は暴走した。両の腕が跳ね上がり、ラジオ体操をしているみたいな格好になる。
しまった、と思った時にはもう遅かった。彼女は身体ごと俺の視界から消え失せていた。どこに消えたなどと考える暇もなく、次の瞬間腹部に鋭い衝撃がはしった。身体ごと地面から浮いた。痛いという感覚もなく、おれはすぐさましたたか壁に打ち据えられた。
体のあらゆる細胞が衝撃に屈し、膝が折れて地面へと崩れ落ちたのと同時に、けたたましい金属音が数多(鳴り響いた。壁にかけられていた剣や盾が落ちた音だろう。
それらの音に混じって少し離れた場所から硝子が割れるのに似た音がした。かすかな喪失感が忍び寄ってくる。理解した。干将莫耶が壊れたんだ。
「はは、もうどうしようもねえ」
知らず漏れ出たのは、諦めの言葉だった。
魔力は尽きた。戦おうという気力も折れた。武器もなくなった。そして、戦闘技術ですら彼女には遠く及ばない。これでどうやって勝てっていうんだ。嘲る笑い声が出るのも無理はないじゃないか。
「貴方の力はそんなものなのですか」
すぐそばで失望したような声が聞こえた。顔を上げると、目と鼻の先に剣の峰が突きつけられていた。
――ああ、死ぬのか……。
痛みも虚しさも本当のことなのに、俺はどこか夢心地で刃の先を見つめる。その目も焦点を失いぼやけ始めた。好都合だ。今も昔もそして未来にしたって、見たくも聞きたくもないものがあまりにも多すぎる。
――さあ、さっさと殺してくれ。君に殺されるというなら、それもいいかもしれない。
元々空っぽだった心へさらに空虚を加え、俺は目を瞑った。首を折り、項垂れる。
――うん? なんだ。
床を探っていた手になにかが触れた。それは。
あの紅い宝石だった。
3
「リン、シロウは大丈夫でしょうか」
「あいつは殺したって死なないわよ」
凛とルヴィアゼリッタの二人は、暗い回廊をまだ歩いていた。かすかに顔だけが照らされるこの場所で、これだけの美女が並んで歩いているというのは、ほのかに魔の香りを漂わせているようだった。
――そうよ、まだまだあいつに死んでもらうわけにはいかないんだから。
ルヴィアから約一歩ほど遅れて歩きながら、凛は腕を組んでいる。苛つく気持ちを抑えるための仕種なのかもしれない。そういう見方をすれば、ルヴィアの歩くスピードも平常より心持ち速い気がしてくる。
自分が明らかに焦っていることを凛はわかっていた。しかしだからといって、どうすることもできないのである。こういう時がくるたび、彼女は心なんていう不自由なものに実体がないことを歯がゆく思うのだった。
もし、“苛々”に体があったとしたら、凛は再起不能なダメージを与えているだろう。肉体には苦痛を刻み込んでやり、精神には恐怖を焼きつけてやるのだ。(感情に感情を教え込むと言う時点で少し矛盾している気がしないでもないが、そんなことはどうでもいい。あくまで仮定の話である。)そうしたなら、もう二度と彼女を苛々させようなどとは思いもしないだろう。
だが、現実はそう簡単にはいかない。不安などの負の感情は際限なく湧いてくる。源泉は己なののだから、どうしようもない。
だからだろう、あんならしくないことをしようと思ったのは。
「アレ出しなさい。アレ」
右手を前に突き出し、無意識のうちに叫んでいた。暗かったため、頬が赤く染まっていたことに気付かれなかったのは幸いだった。不安がひょこっと顔を覗かせた瞬間に、衝動で叫んでしまったのだが思い返すだけで恥ずかしいことである。
士郎へこちらを向かないよう命令してから、ルヴィアの手を引いて凛は彼から少し離れた所に移動した。声が決して聞こえないように。
「いきなりで悪いけど、これに魔力込めて」
「よろしいですけど、たいした量にはなりませんわよ」
目的はわかっていたのだろう。ルヴィアは驚いた顔一つせず、凛から宝石を受け取った。
「そんなのわかってるけど、気休めでもね」
「しないよりはまし、ということですわね」
そう言うと、ルヴィアは目を瞑り小さな声で呪文を囁き始めた。掌の上に載っているルビーがぼんやりと光を放ち始める。人間の目ではわからないが、刻一刻とその光は強くなっていた。
「ふぅ、短い時間ではこれが限界です」
小さく息を吐いて、ルヴィアは目を開いた。宝石の光はもう褪せている。
「まあ、元々時間がかかることだから、しょうがないわね」
比較的魔力を通しやすい宝石類であるが、それはあくまでの他のものと比較してのことである。費用対効果という面から見れば著しく効率は悪い。宝石魔術を得意とする二人でもそれは同じだ。溢れんばかりに水を湛えているダムであっても、排水口が細ければ一度に排出できる水の量は限定されてくる。宝石に魔力を込めると言う作業は、これと同じ理屈である。まあそれでも、士郎などと比べれば雲泥の差はあるけれども。
「単刀直入に聞きたいんだけど……」
「貴女が尋ねる前に断るなんて気持ち悪いですわね」
なんの遠慮もなく放たれた毒舌に、凛は眉を顰めた。
「気持ち悪いって、あなたねえー。話が脱線しそうだから、もうこれ以上言わないけど。ルヴィア、貴女どんな風に魔力を込めたの?」
「ど、ど、どんな風とはどういう意味ですか!? 魔力を込めるのに、ドーナツもワッフルもありません」
ついさっきまでの怜悧な風貌はどこへやら、ルヴィアは頬を赤くした。つかれたくないツボを見事に突かれたのだろう。
「わかりやすい答えをありがと」
予想以上の反応に気をよくしたのか、凛は勝ち誇ったように微笑んでいる。
「うー、そんなことを聞かれるとは思ってもいませんでした。しかし、なぜそんなことを訊くんですか?」
音を立てて咳き込み、ルヴィアは体裁を繕った。だが、まだかすかに顔全体が赤らんでいる。
「上手く説明できないんだけど、なにか嫌な予感がするから……」
「嫌な予感ですか……?」
軽く溜息を吐きながら手中の宝石を弄ぶ凛を見つめて、ルヴィアは小首を傾げた。
「そうよ、なんかね。あいつがどっかに行っちゃいそうな――そんな気がするの」
「それは捨て置けませんけど、さっきの話とどんな関係があるのですか?」
「ただの予想で確証はなかったけど、なにもしないのは嫌だから。どうせなら、やってから後悔したいじゃない。あいつに渡せるものは魔力だけじゃないと思うから……」
ルビーをきつく握り締め、凛は目を閉じた。魔術回路に火を入れ、慣れ親しんだ行為をイメージする。
そして、願いこめる。様々なことを――八年前から抱え込んできたもの、再会してから徐々に育ちつつあるものを分割せず、混沌とさせながら。遠坂凛が持て余している衛宮士郎への想いを全て込めた。
――死んだら許さないんだからね、士郎。
「リン、どうやら着いたようです」
「え? 着いた?」
回想からいきなり引き剥がされ、凛は俯いていた顔を上げた。目前には眉を顰めてこちらを睨みつけているルヴィアの顔があった。そして、さらに一〇メートルほど奥に扉が見えた。そこがいわゆる戦いの場なのだろう。
「士郎のことばかり考えるのも結構ですけれど、少しくらいは自分のことも考えたらどうですか?」
「し、士郎のことばっかりって人聞きの悪い!」
先ほどの意趣返しともいえる痛烈な皮肉に、凛はルヴィアがそうしたように顔を赤くした。
「まあ、冗談はさておき」
「冗談か!」
貴族の子女らしくない――士郎や凛の影響であろう――飄々とした顔で再び歩き始めたルヴィアに、凛は怒鳴った。汽車だったなら見事な汽笛の音を奏でているだろう。さすがに耳障りだったのか、ルヴィアが顔だけ振り返る。
「うるさいですわよ、リン。貴女には淑女の嗜みというものがないのですか?」
「失礼ね。あんたがあおるからでしょ」
高飛車に鼻を鳴らし、凛がルヴィアの隣に並ぶ。好敵手からは小さな溜息が漏れた。
「ここまで来たら、士郎よりも自分の命を考えるべきでしょう」
「……うっ、確かにそれが正解だけど」
気になるものはしょうがないではないか、と凛は思った。が、そう考えただけで口には出さない。これから起こるであろう戦いよりも激しい口論をここで繰り広げても意味はなさそうだからだ。
気持ちのスイッチをきっちり切り替えるために、彼女は近づきつつある扉を睨みつけた。彼女らが扉に手をかけたのは、士郎が戦いを終えようとしていた時である。
4
その行為は本能に似た身体の芯へと叩き込まれていた習性だった。無意識のうちに、俺は手の中にあったルビーから魔力を吸い出していた。魔力の補給なんていうことを考えたわけでは決してない。どうせ、魔力があろうとなかろうと俺の敗北は決定していたのだから。
折れた心で立ち向かえるほど、戦い――生命の奪い合いは甘いものではないに決まっている。
だから、その行動はやはり神経が反応して、いつもしている行為を反射的に行っただけだったのだろう。
しかし、
「ああ! ああぁぁぁぁぁ!!」
反射がもたらした影響はあまりにも大きく、大地震のあとの津波のようだった。声を出しているという意識もないまま、俺は叫んでいた。
視界が素早く明暗を繰り返し、流れ込んでくるものの大きさに脳がついていけていないことを示していた。そんな不快感から逃げるように目を閉じた俺に、魔力を供として流れ込んできたなにかは逃避を許そうとはしなかった。
閉じた筈の瞼の裏に、早送りされた映像が投影される。その映像は、ブリテンに来てからのものが大半を示していた。
雨が降りしきる中ルヴィアとケーキを間に置いて会話した日のこと、スリの少年を追いかけて思わぬ友人に再会した日のこと、ふたりの師匠に反論も許されず怒鳴られ続けた授業のこと、“時計塔”に初めて足を踏み入れた日のこと。
わずか数ヶ月のことだというのに、濃密な日々が早送りされていく。時間の流れのない灰色の世界で、俺はそれらの映像をずっと見続けていた。
セイバーと剣を合わせる前、一瞬だけ響いた声がまた聞こえてくる。
逃げるのか? 衛宮士郎。
――逃げてたんだろうな、俺は。セイバーだからしょうがないって。
それとも、そんな幻想を本気で抱いているということなのか?
――嘘でも信じたかったんだ。たとえ砂上の楼閣だったとしても。
まだ映像は続いていた。舞台はブリテンを離れ、あの懐かしき故郷――冬木へと。俺が知っているのよりも多少大きくなった街並みに、懐かしい人々の顔が並ぶ。
それは姉ぶる小さい少女だったり、柔らかく微笑む妹同然の女性、小さな頃から姉役を務めてくれた暖かい人の顔だったりした。今の境遇も忘れ、恥すらも忘れて、ただ逢いたいと思った。
その気持ちは嘘じゃない、嘘じゃないから。
死ねないんだ。死にたくないんだ。死んだりなんかしたら、凛にも、ルヴィアにも、もちろんイリヤや桜、藤ねえにも二度と会えないじゃないか。
どうしてこんな当たり前のことを忘れてたんだろう。一番大切なことの筈なのに。失われるということはどういうことなのか、俺が一番理解してなくちゃ駄目な筈なのに。
死ぬのは勝手かもしれない。でも、俺が死んだらどうなる……?
――みんなを悲しませることになるだろうが! バカか、俺は!! 殺されるならそれもいいだって、死ぬことの意味さえ理解しようとしていなかった奴が考えていいことじゃない。
己の情けなさを一言叱咤するごとに、身体へと力がみなぎってくる。それは“生”への衝動であり、理不尽なものに対する凄まじい怒りだった。
「――――投影(、開始(――――」
俺は強い心(をイメージする。投影という魔術が俺の特性の全てならば、すなわち出来上がった剣とは、俺自身のことだ。だから、まず己を硬く創り上げなければならない。戦いを通して、目の前に立ちはだかる“困難”へと全てを叩きつけるために。
まず突きつけられていた切っ先を払いのけた。同時に彼女の足を払う。
「くっ、往生際の悪いっ!」
神経質な金属音が響き鳴り、足払いは空を切った。
「それだけはゴキブリにだって負けないさ」
飛び退いた彼女を見つめながら素早く立ち上がる。手に持っている夫婦剣は、すでに元の重さを取り戻していた。
「今度こそこっちからだ!」
間髪容(れることなく、俺は彼女に向かって走った。冷えている頭とは反対に、身体が最高に熱い。滾々(と湧き上がる怒りが、全てを灼き付けようとしているのだろう。
再び始まった剣戟は、苛烈さを増して二人の間で舞い続ける。生まれる火花は室内の明るさよりもなお眩しく、次々に弾け飛んでいく。
剣が打ち合うごとに、必要のないものがこそげ落とされていく。戦いに特化した思考が段違いに加速され、一瞬の筈である時間が最大限に引き延ばされていく。
壊れるまで踏み込んだアクセルから生み出されるスピードに身体がついていけなくなってくる。思考から数瞬遅れて繰り出される剣閃にどうしてももどかしさを感じてしまう。
頭上から垂直に落ちてくる剣の軌跡を受け流し、お返しに突きを入れる。しかし、それも空を切った。
頭ではもう数合先まで見えているのに、今の俺ではまだついていくので精一杯だ。
それでも、さっきとは雲泥の差があるのは間違いない。俺はしっかりと戦えているのだ。手数は俺のほうが多く、一撃自体の利は彼女にあった。
一際大きい金属音が部屋中に響いた。
部屋の中央で、俺と彼女はもっとも接近し、両刃剣と夫婦剣は絡み合って鍔迫り合いをしている。
「貴方は生まれ変わったとでもいうのですか!?」
「ああ、すぐそばに脱いだ皮が置いてあるぞ」
「減らず口を!」
互いの凶器が解放されたのはほぼ同時で、先の取り合いは五分だった。視界のほぼ外、さっきのお返しとばかりに足払いが飛んでくる。
「足癖の悪い奴だな!」
「そっちこそっ!」
たたらを踏んで足払いをかわし、俺は後ろへと跳んだ。
再び、ある程度の距離が保たれる。
――二度目の斬り合いで、どれだけのものから目をそらしていたのかわかった。
距離を置くように歩きながら、心の中で自嘲する。
セイバーというフィルターをかけることにより、俺は無意識のうちに力を抜いてたんだ。
“風王結界(”さえ持てない魔力しか用意できていないというのに、あのセイバーの強さを誇ることが出来る筈がないじゃないか!
結局、彼女を強くしていたのは俺の弱さだったということだけだ。弱き剣を鍛え、曇った眼で相手を分析して、剣戟では最初から諦めてた。――俺は負けを、死を望んでいたんだ。
――炎に焼き尽くされ虚ろになっていた胸の深奥に、いつの間にか宿ったものに気付きもしないで。
「あの一瞬になにがあったというんです」
「忘れちゃいけないことを思い出させられた(だけだ」
そう、思い出させられたんだ。手品の種はわからないけど、あの二人に。
「どかないというのなら、俺は君を倒してその先に進む。伝えなきゃならないことがある」
「そうですか、少し羨ましい気もします。貴方はよい目になりました。そんな目にさせてくれる友人が、貴方にはいるのですね」
彼女は眩しそうに目を細めて――かすかではあるが、確かに――笑った。
「さあ、来なさい。今度こそ語る言葉は必要ない」
剣を構えなおした彼女へと答えを返す代わりに、俺は両手の干将莫耶を投げつけた。
両の腕から放たれた夫婦剣は、左右対称の美しい軌跡を描いて飛んでゆく。伸びていく速度を増す放物線は、凄まじい速度で原点へと近づいてゆく。
目標は、彼女の――首。
しかし、宝具での渾身の投擲にもかかわらず、彼女は易々と防いでしまう。眼前へと掲げられた刃によって、ぎりぎりまで引きつけられた両刀は進路をずらされ、首の皮一枚だけを断ち切り後方へと飛びすさった。
間を置くことなく攻めてくる番は、今度こそ彼女のようだった。俺は無手。相棒は遥か後方。明らかに不味い。
一足飛びに迫ってくる彼女に向かって、
「――――凍結(、解除(――――!!」
俺は瞬時に複製した出来損ないの剣を投げつけていた。体裁はなんとか整えたものの、練成が明らかに甘い夫婦剣は、またも綺麗な弧を描いて、走りくる彼女に向かって宙をはしる。
いくら外側だけの偽物とはいえ、向かってくるものは剣だけに、さすがの彼女の動きも鈍った。しかし、突進は止めない。進路を遮る飛来物に対して剣を振り上げ叩き割った――と同時に、彼女の肩口から血が吹き出ていた。
彼女の両肩には、後方へと消えた筈の干将莫耶が隆々と突き刺さっていた。それぞれがもう一対の夫婦剣に呼ばれ、還ってきていたのだ。
このダメージは彼女にとっても痛手のようでかすかによろけた。が、ただそれだけで彼女はまた走り出した。俺が今度こそ無手なのを悟ったのだ。
その推測は確かに正しい。一回分と言われて渡された魔力を省エネし、なんとか二回分へと再構成はしたが、今度こそ完全に魔力はついていた。もう俺には武器はない。
でも。
この部屋には数えることが不可能なほど武器が転がってる(じゃないか。
「セイ――!」
俺は床に転がっていた両手剣を宙高く蹴り上げた。顔の高さまで高々と蹴り上げられた柄を強く握り締め、走り出す。
「バァァァァァ――!!」
きっとこの世では最後となる彼女の名前を叫びながら隣を走りぬけ、俺は彼女を左上方から右下方へと袈裟に切り下げた。肉を切った感触をまざまざと味わいながら、彼女がどうと音を立てて倒れるのを背中で聞いた。
俺は決して振り返らない。勝者が敗者にかける言葉なんてこの世には存在していないことを知っているからだ。そして、そのことはセイバーの記憶を持っている彼女のならわかってくれるだろう……。
――セイバーの記憶……?
待て、衛宮士郎。彼女が持っているアーサー王の記憶とはどこまでの時のものなんだ。エクスカリバーを抜いた時か? 聖杯を捜し求めていた時のことか?
それとも、命を失った――その時までか?
そんな考えに足をとられ、立ち止まっている俺に、一言の声が聞こえてきた。
「強くなりましたね、シロウ……」
手を血が滲むほど強く握り締め、俺は振り向かなかった。今までで一番の怒りが頭を燃やしている。彼女へと振り向き、近寄るような資格は俺にはないだろう。じゃあ、俺はなにをするべきなんだ? 正義の味方としてこんなことをするやつを止めさせるべきなんだろうか。
いや、違う。正義の味方なんかではなく、俺は“衛宮士郎”としてこんな馬鹿げたことをした奴をぶっ殺さなくちゃいけないんだ。こんな理不尽なことが許されていいわけない。
部屋を出る扉を開け、俺は外に出た。閉まり、永遠に開くことのないドアの向こう――彼女が安らかな表情で眠ってくれればと願った。ただそれだけを願った。
まだかすかに開いている扉の隙間から、甲冑が床へと落ちる音を聞いたような気がした。
>>> Next Answer In the case of them
脱稿 2004/10/16 02:22:30
改稿 2004/10/18 18:24:14
後書き
二週間以内とはいきませんでしたが、停滞した時と比べると少しでも早く出せたことを嬉しく思います。そろそろメールのリプライも開始しようと思います。色々と本当に申し訳ありません。
今回のお話は、「地底深遠」の核でもあり書き終えた瞬間は中々に感慨深いものがありました。「SRR」でのこれからの士郎の生き方の端緒を示すことが出来たのでは、と思っています。
しかし、まだ物語は続くわけで次回は彼女たちの番となります。できれば今月中にもう一話と考えていますが、次回は最終話へのつなぎもあり、少々長くなりそうで二週間一杯かかりそうです。そのため、十一月の頭と予定しています。今週は別途更新するものがありますので、そっちを楽しみにしていただけたらと思います。
次回の更新も二週間以内を目標に。楽しみに待っていただければ、作者冥利に尽きます。では。