今から二百年前、アルベート・ベックマンという魔術師がいた。
 彼の家は魔術師の中でも誉れ高い名門の一つだった。今でも連綿と続いているエーデルフェルト家と比較したとしても遜色のない家柄だったのだから、名門中の名門と評しても間違いはないだろう。
 そんな名門魔術師家の歴史の中でも、彼――アルベートは、今までの頭首たちを遥かに凌ぐ最高の魔術師に違いないと、本当に小さな頃から称えられていた。
 しかし、アルベートはそんなことに興味を抱けないという珍しい魔術師だった。普通のなんでもない人として生きることを本能的に望み、魔術師であった父の言いつけを無視して、兄弟や従兄弟たちと遊ぶことを好んだ。魔術の才能は人一倍あったが、それを行使することはなかった。
 しかし、彼が十四歳になった時、すべてをひっくり返すことが起こった。病気で顔の右半分が爛れ、眼球は腐り落ちてしまうという奇病に罹ったのだ。幸い、二ヶ月もすると彼の熱は引いて、普通に暮らす分には全く問題がなくなった。
 けれど、彼は自分の姿を悔やんだ。白く陶磁の様だった顔は醜くしわくちゃになっていて、眼球が腐り落ちたことによって隻眼になってしまっていたのだ。
 彼は好きではなかった魔術をその傷を隠すために使用した。会う人の脳髄に錯覚を起こさせて、なんの異変も起こっていなかった頃の顔をみんなに記憶させたのだ。それは見事に成功した。両親を除いて、誰もが彼を哀れみの目で見つめることはなかった。
 皺だらけの顔面を触りながら、アルベートは安堵した。
 こんな醜い顔を見られてたまるものか。使えるものを使ってなにが悪いんだ、と。
 友人たちと遊ぶ時も、ダンスパーティーで踊る時も、恋人と愛を語らう時も彼は魔術を行使し続けた。
 だが、破綻はゆっくりと忍び寄ってきていたのだ。魔術の行使に疲れてしまったのではなかった。ただ、彼の繊細な精神が、誰もかもを騙していることに耐えられなくなったのだ。
 彼は、夜誰もいない部屋で苦悩し、苦しみに呻き続けた。
 騙していることは許されるべきことではない。友人だけではなく、恋人まで欺いているなど誰が許してくれるというのか。
 しかし、今更この醜い顔を表に出すというのも耐えられることではない。彼は、両親がこの世のものを見るとは思えない眼差しで、アルベートを監視するように見ていたことを知っていた。
 ああっ! 親友に、あの永遠の愛を誓った恋人にまであんな瞳で見つめられるのに耐えられるはずがない! 
 彼は苦悩に呻いて、机に突っ伏すことしかできなかった。進むに進めず引くに引かれぬ境遇に、彼は長い間悩み続けた。
 そして、アルベートは世俗と係わりを絶つことに決めた。友人、恋人と一切縁を切り、不誠実な男と罵られようとも、彼は独りで生きていくことを決めた。
 アルベート・ベックマン――十九歳の冬のことである。
 外出することを控え、もっぱら書斎で過ごすようになった彼が、魔術の研鑽に努めたかというとそうではない。アルベートは屋敷に保管されてあった膨大な書籍の山に魅了された。
 アーサー王の伝説、北欧神話、アルスター神話、ギリシャ神話。
 アルベートは使用人たちに英雄譚に関連するような書物を選ばせると、自分の書斎に運び込むように命令した。執事などが忙しく本を運び込む横で、彼は一分一秒を惜しむ熱心さで舐めるように読んだ。
 円卓の騎士たちの冒険に心躍らせ、ギリシャの神々には憤ったりした。
 まあ、ここまでよくあるとまでは言わずともあり得る話である。自分の顔の醜さに苦悩して、引き篭もるようになってしまっただけなのだから。――特異な才能を持っていることを除けば、アルベートもそんな中の一人だった。
 しかし、その特異な才能が問題だったのである。普通の人間とは一味も二味も違う、魔術師という才能。科学では到達できない点――魔法にまで手が届くかもしれないという才能が、これからの彼の運命に昏い陰を落とすことになる。
 天啓ともいうべき思いつきを得たアルベートは、まず屋敷の離れに自分専用の工房を作製した。そこに読んだ書物を運ぶことから計画は動き出した。
 食事は一日に一度だけメイドに運ばせ、誰にも顔を見せることなく、彼はなにかをし続けた。
 彼が工房に篭もり始めて五年は経っただろうか。さすがに心配になった両親の前に、服がぼろぼろで髪や髭を伸ばし放題のままで久しぶりに姿を現したアルベートは、満足そうな表情で笑っていた。父親がなにをしているのだと問いただしても、彼は「見通しがついた」と言って嬉しそうに微笑むだけだったという。
 彼の中で第一段階が終了したのだろう、アルベートは次に世界中に散らばっている英雄や伝説、伝承に縁がある武器防具やマジックアイテムを収集し始めた。なんの目的のためにそんなものを集めているのか、彼の屋敷で働いていた使用人たちはもちろん、両親でさえも理解することは叶わなかった。
 アルベートだけしかそのコレクションの意味を知らなかった。彼は、工房に続々と運び込まれてくる骨董品を陳列して眺めては、楽しそうに笑っていたらしい。まるで狂人のようである。いや、既に狂っていたのかもしれない。
 ここで、彼が集めたものの中で代表的なものを紹介するのも一興だろう。
 まず最初に、アーサー王の使っていたという甲冑である。本物かどうか疑いたくなる代物だが、たしかにその鎧は本ものだった。紛いものとは思えない対魔力だったのだから、間違いないだろう。
 次に、龍の代表格であるファフニールの鱗だ。これも本ものらしい。鋼を遥かに超える固さには目を見張るしかない。
 最後に、巨大な万華鏡である。マジックアイテムだが、どうやらこれはそれほど有名なものではないらしい。たまたまアルベートのお眼鏡に叶って陳列されることを許された品ものだ。名もなき魔術師の作らしい。
 まだ数え切れぬほどの骨董品が運び込まれたのだが、ここでは省くことにしよう。いつか、あなたたちはそれを目にするだろうから、その時に確かめて欲しい。
 そして、そのコレクション群がアルベートの満足する量にたっするまで、さらに十年の月日を要した。足掛け十五年の大願である。両親は既になく、彼も四十歳になろうとしていた。しかし、そんなことには頓着することなく、彼は準備が整ったことに子供のように喜んだ。
 彼の脳裏に描かれていた絵巻は唯一つ。
 ――自分が想像している魔術が成功するか否か。ただそれだけだった。
 さて、本番はこれからである。ここまで長々と語ってきたことはあくまで前座に過ぎない。長々と書いたわけは、アルベートがどうしてそう願ったのかを理解する一助になればと思ったからである。 それでは、彼が魔術を完成させた夜のことを語ろうとしよう。
 彼が考え出した魔術とは、固有結界と呼ばれるものである。魔術師の中では、魔術の到達点の一つとされている。それでいて、禁忌であり、奥義でもある。すごいものになると、魔法と呼んでも差し支えないかもしれない。
 発動者の心象世界で、世界そのものを塗り変えて変質させてしまう。
 そして、それこそがアルベートの望んだことでもあった。それぐらいはしてもらわなければ、彼の望みは到底叶わないからだ。
 彼は暗闇の中、二十年考え続けてきた呪文を唱え始めた。

 ――My heart is hollow and empty.(僕の心は虚ろで空っぽ)

 ――I will pack a toy, if it becomes.(それなら、心におもちゃをつめよう)

 ――For this reason, the collected toys.(このためにあつめたおもちゃを)

 ――Knights fight and Dragons dance in the sky.(騎士たちは戦い、龍たちは空で踊る)

 ――Pierrots are mad and Magicians are doing fireworks.(道化師たちは狂ってて、魔術師たちは花火をしてる)

 ――I will play all together.(さあ、みんなで遊ぼう)

 ――The pleasant night is waiting.(楽しい夜が待ってるよ)

 ――It is pleasant even when the heart is empty.(心が空っぽでも楽しいさ)

 ――Because I am(だって僕が、) a "toy box"(おもちゃ箱なんだから)

 アルベートが口を閉じた刹那、固有結界"toy box"(おもちゃ箱)は現界した。
 だだっ広い工房の内部が、まるで海に大きな石を投げ入れた時の様に波紋を描きながら、アルベートを中心にして、彼の心象世界に侵食されていく。
 アルベートの周りはいつの間にかどこかの城の一室の様に石で造られている。
 彼は呪文を唱えた部屋を飛び出した。コレクションが陳列されている部屋は、特性を持つものに区別して幾つもの部屋に分けられていた。
 アルベートは手短な部屋の扉に手をかけた。廊下も縄張り争いが激しいのだろうか。樹木が生い茂っている場所もあれば、さっきまで彼がいた部屋のように石畳になっているところもあった。
「あっ!!」
 部屋の中に入ったアルベートは、上を見上げ言葉をなくした。
 そこにはなん度夢見たかわからない幻想種――ドラゴンが窮屈そうに待っていたのだ。
 アルベートは思い出す。この部屋にはなにが置かれていたのか。それはあのファフニールの鱗だ。
 まさか、と受肉させた本人でさえ驚いていた。目の前で鼻を鳴らしながら四つん這いになっているこの生きものが、かのファフニールだと誰が信ずることができようか。
 しばらく沈黙が続いただろうか。洞窟の様な場所に姿を変えていた部屋には、龍の荒い鼻息だけが行き交っていた。
「あああっ!!」
 突然、アルベートはわけのわからない呻き声を上げた。
 それは心からの歓喜が身も心も支配していた証拠だったのだ。なにも言わず数歩後ずさったアルベートは、後ろ手にノブを回して部屋を出た。傲慢そうな瞳でこちらを見下す龍と瞳を見つめ合わせたまま、彼は転がるように廊下に飛び出した。
 さてこの後、彼は全ての部屋を見て回り、またも歓喜するのだが、一つ忘れていたことがあった。
 それは魔術協会のことである。ベックマン邸が建てられていたのが辺鄙な場所ならばまだよかったのだが、ここはロンドン。――魔術協会本部"時計塔"のお膝元だった。
 一時間もしない内に、強大な魔力の奔流を感じ取った他の魔術師たちがアルベートの元へと殺到した。
 用件は彼を封印指定し、閉ざされし回廊(クローズドギャラリー)にアルベートを幽閉しようとするために。
 集まった魔術師は二十余名。数人で外界と根絶する結界を張り、彼らはアルベートの固有結界に挑んだ。龍の雄叫び轟き、鉄と鉄が擦れる音が工房から漏れ出てくるのを聞きながら、"時計塔"の魔術師たちはただ突っ立っていた。
 それは固有結界を使う者に対して一番有効な方法だった。魔力量の消費が伊達じゃないことだけが、固有結界の弱点。いくら出力が強くても、撃つものがなくなれば大砲などただの鉄の筒に過ぎないのと同じことだ。
 固有結界が発動してから、十時間後、アルベートの魔力量は空っぽになった。小さな変哲もない箱を抱えて、彼は二度と出ることのできない牢獄に閉じ込められることになった。
 十余年もの歳月をかけて収集したコレクションは全て没収され、閉ざされた回廊(クローズドギャラリー)の倉庫に二度と日の目を見ることのないよう厳重に管理されるようになる。
 アルベートは小さな部屋で死なない程度に生かされて、十年後に死んだ。遺品は彼が連れてこられた時に抱えていた箱だけだったという。
 それも、倉庫に放り込まれたのだが、その時、よく調査すべきだったのだ。魔術師が死の間際まで抱え込んでいたものが普通の箱なわけがないのだから。
 アルベートはその箱に自分の固有結界の発動術式と時限装置、そして彼の十年分の魔力を組み込んでいたのだ。
 発動時期は二百年後。どんな場所で、どんな境遇にあろうと、"toy box"(おもちゃ箱)は起動する。

 最後に、お遊びでこれだけは付記しておこう。
 アルベートが"toy box"(おもちゃ箱)を起動して一番驚いたことはなんだと思われるだろうか?

 それは、かの騎士王が女性だと知った時だった。





>>> Next Chapter A troublesome cleaning request


 脱稿 2004/03/23 02:43:15



 後書き
 一週間以上間が空いてしまいましたが、ここにSRRシリーズの長編をお届けいたします。
 これまでに三本の短編を発表してきたわけですが、自分的にはあくまでおまけでした。
 なぜなら初めに思いついたのはこのネタだったからです。
 露骨な伏線(というか、登場予告)が張ってありますが、悶える人は悶えてください。
 もう一話は出来ているので、来週中にはお届けできるでしょう。予想している文章量は、中編以上長編未満といったところ。Fateを一度やり直したいところですが、そんな時間はあるでしょうか。
 裏ページでは同じ作品ですが、一話の初稿を公開しています。まだ十数人の方々に見ていただいただけですが、中々好評な模様。少し勇気付けられています。
 メールや書き込みには非常に救われています。これからもどしどし送ってきてください。にやけながらもキーボードを叩く助けになると思います。
 感想メールは一週間以内に返信している筈です。一週間経っても帰ってきていない方がいたなら、ウイルスに罹っているか、届いていないかです。お気をつけください。
 では、また次の話で。





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